作品情報
| 邦題 | ミスミソウ |
| 英題 | Liverleaf |
| 公開年 | 2018 |
| 製作国 | 日本 |
| 監督 | 内藤瑛亮 |
| 主演 | 山田杏奈 |
概要
『ミスミソウ』は、押切蓮介の漫画を原作とした内藤瑛亮監督の日本映画である。雪深い山間の廃校寸前の学校に転校してきた少女・野崎春花が、執拗ないじめの標的となり、やがて一家を焼き殺されたことで復讐者へと変貌していく。
本作を鑑定するうえで最初に確認しておかなければならないのは、この映画が前半と後半で明確に性格を変える二層構造を持っているという点である。
前半は春花に対するいじめと、いじめグループへの報復の物語である。この前半部分においては、春花は意思を持って執行に動き、相当程度ミッションを完遂する。燃料は極めて高水準で揃っており、純粋なリベンジ映画として機能している。
後半になると、新たな問題が噴出する。春花と妙子、春花と相場、妙子と流美という三つの感情の軸が絡み合い、物語は単純な復讐劇から逸脱していく。妙子は春花に友人以上の好意を持ち、その妙子のとりまきグループは妙子が好きな相場を春花に取られたというそもそも誤解に基づく認識でいじめを始めていた。流美は元々いじめのターゲットであったが、春花が転校してきたことでターゲットが移り難を逃れていたが、春花が学校を休んだ間に再び自分が明確なターゲットに戻り、さらには何もかも春花のせいで妙子とうまく行かないと思い込むようになり、流美は春花を恨むようになる。
そして最終盤、春花の家族を焼き殺した首謀者が流美であることが判明する。流美の動機は純粋な悪意というより、いじめグループに「ヘタレではない」と認められたいという歪んだ承認欲求や、春花がいなくなれば妙子との関係がうまくいくはずだという身勝手な妄想である。すでに殺されていた女子3人の死体を発見してしまったことの影響も大きいと思われる。更に「首謀者のお前が怖気づいたら殺す」と脅されて引くに引けない状況に追い込まれてもいた。しかしそれでもなお、灯油をかけて点火するという行為の外道性は揺るがない。
本作の「厄介さ」の正体はここにある。加害者と被害者の境界線が溶けていき、観客は最後まで純度の高い怒りを維持することができない。燃料は極上でありながら、執行の構造がそのカタルシスを最後まで回収しきれない——それが本作のリベンジ映画としての限界であり、同時に映画としての複雑な誠実さでもある。
鑑定報告(Ver 1.3基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(被害者の無実性) | 5/5 |
| 2 喪失(奪われたものの重さ) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(加害者からの見下し) | 5/5 |
| 4 標的(復讐対象の明確さ) | 3/5 |
| 5 敵の悪(情状酌量の余地) | 5/5 |
| 6 後味(結末のカタルシス) | 1/5 |
| 7 配役(復讐者の説得力) | 4/5 |
| 8 演技(感情の爆発度) | 4/5 |
| 9 演出(執行のスタイリッシュさ) | 4/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の納得感) | 3/5 |
| 11 倫理の納得感(観客の同調率) | 2/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(難易度と落差) | 2/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 43/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:5/5
野崎春花は転校生という以外、いじめを受ける落ち度が一切ない。そもそもいじめの発端自体が「妙子が相場を好きなのに春花が取った」という完全な誤解に基づいており、春花には予見可能性がゼロである。平穏な日常への突発的かつ一方的な権利侵害として、満点以外に置きようがない。
2 喪失:5/5
一家を自宅ごと焼き殺されるという損害規模は、V1.3の基準における壊滅的損失に完全に該当する。生活基盤の不可逆的消滅かつ家族の喪失であり、満点でよい。
3 被侮蔑:5/5
いじめグループは春花を徹底的に人間として扱わない。転校生という立場の弱さを最大限に利用し、存在を消すことに何の躊躇もない。侮辱の純度は最高水準であり、満点でよい。
4 標的:3/5
本作の標的は前半と後半で変質する。前半のいじめグループは顔のある敵として機能しており、怒りの照準はある程度明確である。しかし後半になると、春花・妙子・流美・相場4人の屈折した愛憎劇が繰り広げられ、標的が拡散する。さらに流美が家族焼殺の真犯人と判明するのは最終盤であり、観客の怒りが一点に凝縮されないまま物語が終わる。完全に標的が定まらない構造として、3が妥当である。
5 敵の悪:5/5
春花がリベンジの執行を開始するきっかけとなった放火事件の首謀者である流美は元々いじめのターゲットであった。穴の中で行方不明女子3名の死体を発見したことにより、自分も殺されるのではないかと怯えて春花殺害を決意する。また放火直前に「首謀者が怖気づいたら殺す」と脅されて引くに引けない状況に追い込まれた。しかしそれでもなお、灯油をかけて点火するという行為の外道性は揺るがない。流美を追い込んだいじめグループの責任と、流美の行為の外道性は分離して評価すべきであり、本項では行為そのものを見る。満点でよい。また、いじめグループによる春花に対する行為も悪質きわまりない。また、放火で家族を失った春花に対して自殺を迫るなど、いじめグループの春花に対するいじめの悪質度は極めて高いと言える。
6 後味:1/5
春花は最終的に流美に腹を刺され、相場にボコボコにされ、ボーガンで相場を討ち取った後に倒れる。その後、妙子が卒業式に出席し、春花と過ごした思い出に浸って物語は終わる。春花の生死は明確に描かれないが、救済も希望も回復も存在しない。V1.3の定義する完全絶望の1点である。
7 配役:4/5
山田杏奈は序盤の被害者としての儚さと、復讐者へ転じた後の冷たさの両方を体現している。この役を成立させる説得力は十分にあり、4でよい。伝説級の5とまでは言わないが、ジャンルを明確に超える存在感がある。
8 演技:4/5
感情を爆発させるタイプではなく、壊れていく過程を内側から滲ませるタイプの演技である。静かに沸点を超えていく表現の精度は高く、標準を明確に超える。4が妥当である。
9 演出:4/5
内藤瑛亮の演出は逃げない。雪の白さと血の赤の対比、閉塞した空間の圧迫感は計算されており、見せ場として十分に成立している。ただしリベンジ映画として溜めから解放の快感を最大化する設計かというと、本作の演出はカタルシスよりも不快と緊張の持続を優先している。4が妥当である。
10 伏線回収:3/5
流美がいじめの元ターゲットであったこと、相場のストーカー的気質など、前半に置かれた要素は後半で効いてくる。ただし構造的なパズルの快感よりも感情の蓄積と爆発で引っ張るタイプであり、因果の必然性という意味では標準的な回収にとどまる。3でよい。
11 倫理の納得感:2/5
本作最大の難所である。いじめグループへの前半の執行は観客が同調できる。しかし後半、相場のストーカー的気質と暴力性が既に露呈した状態で流美を殺すという展開は、制裁でも代理執行でもなく、単なる別の暴力として観客に映る。春花が意思を持って流美への執行に動いたにもかかわらず、その決着が全く別の動機と文脈で処理されてしまう。流美への同情的背景も加わり、最後まで純度の高い同調を維持することができない。問題はあるが致命的ではない2点が妥当である。
12 敵の歯ごたえ:2/5
いじめグループは同年代の学生であり、組織力も戦闘力も持っていない。相場は暴力性と体力を持っており春花を返り討ちにするが、全体としての障害強度は低い。勝利の価値という意味では厳しく、2が妥当である。
13 執行精度(倍率): ×3
前半のいじめグループへの執行は、春花自身が意思を持って完遂しており、この部分の執行精度は高い。後半、流美が自白した直後に春花は意思を持って流美への執行に動いた(ように見える)。しかし返り討ちにあって果たせず、流美は相場によって殺されてしまう。
ここで重要なのは、相場が流美を殺したのは「春花の無念を晴らすため」ではなく、「自分が愛する春花を傷つけた者への私的制裁」であったという点である。春花の復讐の延長線上にない、全く別の動機による殺害であり、代理執行とは呼べない。春花は最終的に相場をたまたまそこにあったボーガンで討ち取るが、家族焼殺の首謀者である流美に対する執行は果たせなかった。
前半の完遂度の高さで2倍には落とせない。しかし最大の標的への執行が「意思はあったが果たせず、代理執行とも言えない他律的決着」に終わったという構造で4倍にも上げられない。3倍が最も誠実な評価である。
最終鑑定点:129/300(基礎点合計×執行精度)
格付け:D級(不発)
総評
『ミスミソウ』は、燃料が極上でありながら最後の執行で空回りした映画である。
不条理・喪失・被侮蔑・敵の悪、これら燃料系の項目は極めて高水準で揃っている。春花が受けた理不尽の純度は本物であり、家族を焼き殺されるという損害規模はV1.3の基準でも最大級の燃料である。
しかしこの映画は、そのエネルギーを最後まで回収しない。
前半のいじめグループへの執行はほぼ完遂する。だが物語の重心は家族を焼き殺された春花の復讐にあり、その首謀者流美への執行は果たせないまま終わる。流美を殺した相場は、春花の意思の代理執行者ではなく、直後に外道と判明する別の敵であった。観客が最も望んでいた執行が、最も望まない形で他律的に決着する。
倫理の納得感も崩れる。加害者と被害者の境界線が溶けていく構造の中で、観客は最後まで純度の高い怒りを維持できない。流美の背景、相場の二面性、妙子の歪んだ愛情——これらが積み重なり、単純な同調を許さない。
129点、D級。
ただしこのD級は「底の浅い映画」という意味ではない。燃料は本物であり、映画としての誠実さも本物である。リベンジ映画のカタルシスを意図的に裏切り、救済のない結末へ向かうことを選んだ映画である。V1.3はカタルシスの総量を測る基準であるから、この映画はD級になる。しかしそれは本作の選択の結果であり、欠陥ではない。
付け加えるならば、前半のいじめグループへの制裁が積み重なっていく場面においては、カタルシスは最大級と言ってよい。燃料が極上である以上、その解放の瞬間の爆発力は本物である。この映画がD級に終わるのは、その最大級の燃料を最後まで回収しきれなかったからであって、前半が与えてくれる怒りの解放そのものは、このジャンルの中でも屈指の水準にある。


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