処女の泉

スウェーデン
邦題処女の泉
原題Jungfrukällan
公開年1960
製作国スウェーデン
監督イングマール・ベルイマン
主演マックス・フォン・シドー

概要

映画『処女の泉』は、イングマール・ベルイマン監督、マックス・フォン・シドー主演による1960年のスウェーデン映画である。物語は、娘カーリンが教会へ向かう途中で陵辱・殺害され、その事実を知った父テーレが加害者たちに報復するところへ進んでいく。作品はアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。

この作品は、映画としての格と、リベンジ映画としての点数が一致しない作品である。テーレの一人娘カーリンは教会へロウソクの奉納に向かう途中で羊飼い3兄弟からレイプされ殺される。父テーレは偶然自宅に現れて食事を与えた相手こそ犯人だと知り、自らの手で報復する流れも明快だ。復讐劇の骨格そのものははっきりしている。
ただし、本作が前面に出しているのは復讐の快感ではない。描いているのは、怒りがそのまま新たな罪へ変わる重さである。テーレは報復を果たすが、達成感は無く、神への問いと贖罪の意識だ。とくに、犯行の中心ではなかった少年まで殺してしまったことで、この復讐は単純な制裁ではなくなる。終盤の泉の奇跡も、この作品を単純な復讐映画から遠ざけている。娘の死、父の報復、少年の死、神への訴え、泉の出現。その流れは、復讐の達成よりも、贖罪と信仰をめぐる問いへと着地する。このことはつまり、執行カタルシス型リベンジ映画として点が伸びないことの理由でもある。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。

1 不条理(被害者の無実性)5/5
2 喪失(奪われたものの重さ)4/5
3 被侮蔑(加害者からの見下し)3/5
4 標的(復讐対象の明確さ)3/5
5 敵の悪(情状酌量の余地)5/5
6 後味(結末のカタルシス)3/5
7 配役(復讐者の説得力)4/5
8 演技(感情の爆発度)4/5
9 演出(執行のスタイリッシュさ)5/5
10 伏線回収(因果応報の納得感)4/5
11 倫理の納得感(観客の同調率)3/5
12 敵の歯ごたえ(難易度と落差)2/5
基礎点合計(1〜12)45/60

基礎点の根拠

1 不条理:5/5

カーリンは教会への奉納に向かう途中で被害に遭う。被害者側の重大な落ち度は見当たらない。

2 喪失:4/5

失ったのは最愛の一人娘である。家族にとっての損失は大きい。

3 被侮蔑:3/5

加害者たちは悪意で人格を踏みにじる型ではない。そもそも相手を人間として認識する能力自体が欠けている。カーリンが人として扱われないのは、意図的な軽蔑によるものではなく、加害者側の知性と道徳観念の欠落による結果である。侮蔑の「濃さ」としては標準点にとどまる。

4 標的:3/5

報復対象は三人の羊飼いであり、小規模グループへの復讐として明快である。

5 敵の悪:5/5

陵辱と殺害だけでなく、被害者の服まで売って金にしようと考えるその浅ましさ悪質さは許しがたい。

6 後味:3/5

テーレは報復を果たすが、罪悪感が強く残る。だが、物語は完全絶望では閉じない。泉の出現と教会建立の誓いによって、少なくとも宗教的な救済の気配は残される。晴れやかな再生ではないが、完遂したうえで傷と罪の意識が残る結末である。

7 配役:4/5

カーリン役を演じたビルギッタ・ペテルソンの気前が良く世間知らずでわがままなお嬢様感が良い。

8 演技:4/5

襲われるカーリンを離れたところから見つめるインゲリの表情が印象的だ。恐怖で立ちすくんで動けないというよりも、むしろ興奮しているかのように見えて生々しい。

9 演出:5/5

ベルイマンは暴力を見世物にしない。信仰と残酷さを同じ画面に置き、映像の硬さと静けさで暴力の重さを増していく。

10 伏線回収:4/5

インゲリの嫉妬、異様な老人の預言、犯人たちが家に立ち寄る偶然、そして泉の出現まで、前半の配置が終盤の出来事へつながっている。

11 倫理の納得感:3/5

父の怒りそのものは十分理解できる。一人娘を陵辱され、殺された状況で、犯人を前にして激昂するのは自然である。ただし、テーレは3人に対して尋問をすることも無く、有無を言わさず加担していない少年まで殺してしまう部分には引っかかりが残る。

12 敵の歯ごたえ:2/5

犯人自ら被害者の実家で一夜を過ごし捜索の手間なし、寝ていたところに襲いかかり、やや抵抗はあったものの、ほとんど労せず犯人グループにとどめを刺す。

最終鑑定点:135/300(基礎点合計×執行精度)

格付け:D級(不発)

『処女の泉』は、復讐映画のプロットを使いながら、はなから復讐の気持ちよさを主題にしていない。描かれているのは、娘を奪われた父の怒りだけではなく、その怒りが更に新たな罪を生むというジレンマである。神とはなにか、罪とはなにか、許しとはなにか、そこにこの映画の深さがある。

コメント