作品情報
| 邦題 | 鮮血の美学 |
| 原題 | The Last House on the Left |
| 公開年 | 1972 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | ウェス・クレイヴン |
| 主演 | サンドラ・ピーボディ、ルーシー・グランサム、デヴィッド・ヘス |
概要
映画『鮮血の美学』は、娘を奪われた親が、偶然自宅に現れた4人組が犯人であると気づいて私刑に踏み切る作品である。『処女の泉』の骨格を借りた復讐劇であり、復讐の主体も標的も明確だ。
この映画である意味重要なポイントは、復讐劇らしからぬアップテンポでコミカルな音楽、喜劇役者のような間抜けで役立たずな保安官と保安官代理の存在だ。さらわれた二人の女性はもちろん理不尽にも悲惨な仕打ちを受けるのだが、その悲惨な内容と全く逆の要素を取り入れて、観るものをあえてチグハグな感じにさせているかのようだ。また、原題の『The Last House on the Left』が示すのも、どこにでもありそうな家が恐怖の現場になりえるということを示唆する気味の悪さはあるが、邦題の『鮮血の美学』はいかがなものだろうか。どの辺りが美学なのだろうか。
制裁執行に至るまでの燃料そのものは強い。被害者二人への加害は執拗で屈辱的だ。だが、画面そのものが極端に血みどろというわけではない。遺体を執拗に見せる映画でもなければ、残酷描写を見世物として磨いた映画でもない。本作の嫌さの中心にあるのは、流血の量より、加害の持続、屈辱の積み重ね、そして場違いな明るさを混ぜ込んだ演出の不穏さである。
構造は単純だ。犯人たちが偶然被害者の家を訪れて宿泊することになり、母親が娘にプレゼントしたペンダントなどから真相に気づいて復讐を開始する。両親は自分たちの手で犯人たちにとどめを刺すものの、詰めの段階としては迫力には欠ける。最後に保安官が現れていちおう制止するも復讐は止められず、彼らは終始なんの役にも立たずに終わる。犯人グループ4名のうちのひとり、軽い知的障害がありそうな長男の息子は父親らの行為に対して終始批判的な態度をとっており、最後父親に銃を向けるものの、激しく父親からなじられて自分の頭を撃って死んでしまったが、彼は報復すべき相手から除外しても良かろう。『処女の泉』の末っ子は怒り狂った主人がが勢い余って殺してしまったが、この映画は自殺してしまったという違いだ。
この作品は燃料はかなり強い。敵の胸糞の悪さも充分。にもかかわらず、終盤が執行カタルシスとして立ち上がらない。監督が意図的に前面に出しているのは、復讐の爽快感より、秩序の崩壊と暴力の汚さである。そのため、本作はリベンジ映画としての骨格を持ちながら、執行カタルシス型リベンジ映画としては不発と言える。
鑑定報告(Ver 1.3基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(被害者の無実性) | 3/5 |
| 2 喪失(奪われたものの重さ) | 4/5 |
| 3 被侮蔑(加害者からの見下し) | 5/5 |
| 4 標的(復讐対象の明確さ) | 4/5 |
| 5 敵の悪(情状酌量の余地) | 5/5 |
| 6 後味(結末のカタルシス) | 2/5 |
| 7 配役(復讐者の説得力) | 3/5 |
| 8 演技(感情の爆発度) | 3/5 |
| 9 演出(執行のスタイリッシュさ) | 2/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の納得感) | 4/5 |
| 11 倫理の納得感(観客の同調率) | 4/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(難易度と落差) | 3/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 42/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:3/5
被害そのものは十分に不条理である。しかし、完全に平穏な日常の只中から無差別に襲われた型とまでは言いにくい。大麻を求めて見知らぬ男に接触したのがことの始まりである以上、完全不条理の5点にはできない。
2 喪失:4/5
一人娘を奪われる喪失は重い。ただし、一家壊滅や生活基盤の全消失まで描く型ではないので、5点までは置かない。
3 被侮蔑:5/5
犯人たちは被害者二人を暴力で支配下に置き、弄び、怯えを楽しみ、最後まで相手の尊厳を踏みにじる。侮蔑の度合いは高い。
4 標的:4/5
報復対象はクルーグ一味という小集団にきちんと絞られている。誰に怒りを向ければよいかは明確で、復讐劇としての標的は見失わない。ただし、最終的に一個人の顔へ凝縮するというより、一味全体への私刑なので4点止まりである。
5 敵の悪:5/5
敵は十分に外道である。加害の下劣さ、被害者への扱い、卑小な振る舞いを含めて、観客が情状酌量を向ける余地はほぼない。
6 後味:2/5
復讐は完了するが、救済も再生もない。家庭の中まで暴力に汚染された感じが強く残り、晴れやかな終幕にはまったくならない。完全絶望ではないが、希望の薄い着地である。
7 配役:3/5
被害者側、親側、犯人側とも機能はしているが、復讐者として画面に立っただけで強い説得力が出る型ではない。本作はスターの顔で引っ張る映画ではなく、配役の強烈な必然性もそこまで高くない。
8 演技:3/5
演技は粗いが、恐怖、嫌悪、特に犯人側の下劣さは十分に伝わる。ただし、被害者両親の心の内を見せるような感じでもない。標準点が妥当である。
9 演出:2/5
ざらついた空気や不快さの持続には成功しているが、執行カタルシスを高める演出としては弱い。特に妙に明るい音楽や喜劇調の警官描写は、意図的であるにせよ、カタルシス的にはマイナス要因だ。
10 伏線回収:4/5
犯人が家に入り込み、ペンダントなどから親が真相に気づき、家の中で報復へ移る流れはよくできている。『処女の泉』由来の骨格が素直に効いており、オリジナリティは無いが破綻もない。
11 倫理の納得感:4/5
親が娘の仇を討つ筋そのものは理解しやすく、観客も一定の同調は可能である。母親が犯人グループ弟を誘惑して性器におそらく噛みつくくだりがあるが、これは恐らくレイプされたであろう娘たちのことを思ったがゆえの制裁であろう。
12 敵の歯ごたえ:3/5
犯人たちは凶悪ではあるが、復讐パートで圧倒的な障害として立ちはだかるわけではない。
13 執行精度(倍率): ×3
決着は両親自身の手でつけており、他者任せの終わり方ではない。自殺した青年は除外して良い。そのため2倍まで落とす必要はない。ただし、執行は圧倒的でも精密でもなく、相手に逃れられない絶望を刻み込む型でもないが、目的は達成したので3倍が妥当である。
最終鑑定点:126/300(基礎点合計×執行精度)
格付け:D級(不発)
総評
『鮮血の美学』は、復讐劇の骨格を持ちながら、意図的に執行カタルシスから外した作品である。親が娘の仇を討つ話であり、敵も外道である。燃料はきちんとある。ところが映画全体が見せようとしているのは、復讐の快感ではなく、邦題が匂わせるような鮮血の美学でもない。下劣な加害と、秩序が何も回復しない後味の悪さである。
本作の点が低いのは、映画として出来が悪いからではない。制作側が意図的に復讐を気持ちよく見せる方向を外し、不快さと汚れを正面から残す作りを選んだからである。その意味で本作は、リベンジ映画としては扱えるが、執行カタルシス型リベンジ映画としては不発である。


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