マッドマックス

オーストラリア
邦題マッドマックス
原題Mad Max
公開年1979
製作国オーストラリア
監督ジョージ・ミラー
主演メル・ギブソン

概要

被害の大きさに対して、執行カタルシスが伸びない。マックスの息子スプロッグは死に、妻ジェシーは重体となる。燃料の規模だけ見れば最大級だ。ところが本作は、その被害が「この一人を必ず叩き潰せ」という怒りに濃縮され切らない。ここが、この映画を測るうえでの核心になる。

前半の顔は警官映画だ。しかもその警官マックス自身が、すでに壊れかけている。マックスは隊長のフィフィに、このまま道路にいれば自分も連中と同じ「終わった狂人」になると語る。本作は正義の復讐者が立つ話として始まるのではなく、荒廃した世界の中で一人の男が壊れていく話として始まっている。

敵の悪も十分にある。グース焼殺は明確な一線越えであり、ジェシーとスプロッグへの襲撃はさらに決定的だ。ただし、トーカッター一味の胸糞が煮詰まらないのは、悪事の量が足りないからではない。悪を支える構造が弱いからだ。連中は無法で外道だが、権力の後ろ盾を持つわけでも、法の保護を受けた支配者でもない。群れて調子に乗る小物の集団に近い。だから「こいつらを潰せ」という怒りは出ても、「トーカッターだけは絶対に許せない」という形には煮詰まりにくい。

さらに、最大の被害と最大の決まり手が一致しない。家族への襲撃がカタルシスに必要な本命の爆薬であることは明らかだが、終盤でいちばん強い印象を残す制裁はジョニー処理だ。ジョニーを手錠で車に繋ぎ、鎖を切るより足首のほうが早いと告げて去る場面は冷酷で、決まり手としても鮮烈だ。ところが群れのボスであるトーカッターの最期は、追跡の果てに対向トラックへ突っ込む自滅寄りの決着になる。報復は成立する。だが、最大の怒りと最大の抜けが同じ相手に向かっていない。そこがこの映画の爆発を散漫にしている。

爆薬の量は多い。だが、主敵の格、怒りの濃縮、決まり手の一致が足りない。被害の規模のわりに大爆発しない。映画としての魅力と、執行カタルシス型リベンジ映画としての強さは別だ。本作は前者ではかなり強いが、後者では意外に伸びない。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。

1 不条理(被害者の無実性)5/5
2 喪失(奪われたものの重さ)5/5
3 被侮蔑(加害者からの見下し)2/5
4 標的(復讐対象の明確さ)3/5
5 敵の悪(情状酌量の余地)4/5
6 後味(結末のカタルシス)2/5
7 配役(復讐者の説得力)4/5
8 演技(感情の爆発度)3/5
9 演出(執行のスタイリッシュさ)3/5
10 伏線回収(因果応報の納得感)2/5
11 倫理の納得感(観客の同調率)4/5
12 敵の歯ごたえ(難易度と落差)3/5
基礎点合計(1〜12)40/60

基礎点の根拠

1 不条理:5/5
家族側に大きな落ち度はない。暴走族の悪意と社会の荒廃が一方的に襲いかかる。満点でよい。

2 喪失:5/5
スプロッグは死に、ジェシーは重体となる。被害の規模だけ見れば最大級だ。満点でよい。

3 被侮蔑:2/5
一味は無法で粗暴だが、胸糞として重要な「なぜそんなに調子に乗れるのか」という構造が弱い。権力の後ろ盾もなく、法の保護もなく、陰湿な計算もない。ただのボス猿とその子分たちにしか見えない。ジョニー保釈の場面では警察を露骨に嘲るが、それもトーカッターの巨大な威光というより、群れて調子に乗る小物のイキりに見える。侮蔑はある。だが、観客の怒りを一点に煮詰める種類のナメにはなり切らない。

4 標的:3/5
後半の怒りは一味全体に向かう。トーカッター一人に強く煮詰まる作りではなく、集団への報復として分散する。主敵の顔はやや薄い。

5 敵の悪:4/5
グース焼殺も、ジェシーとスプロッグへの襲撃も十分に外道だ。ただし敵の悪は「この一人だけは絶対に許せない」という一点突破より、集団としての無法に寄っている。燃料としての濃さは満点まで届かない。

6 後味:2/5
報復は成立する。だがスプロッグは戻らず、ジェシーも元の生活に戻る見通しは立たない。マックス自身も回復へ向かわない。決着はつくが、再生のある結末ではない。

7 配役:4/5
メル・ギブソンの若さは、この段階のマックスには合っている。最初から伝説の復讐者として立つ顔ではないが、追い詰められて壊れていく男としては十分に成立している。

8 演技:3/5
必要な感情は伝わる。ただし芝居そのものが観客の腹に怒りを沈めるほど強いわけではない。標準域だ。

9 演出:3/5
追跡や暴力の勢いはある。世界の荒廃もよく出ている。ただし被害を一点に煮詰め、復讐の燃料として濃縮する演出ではない。雰囲気は強いが、カタルシスの助走としては弱い。

10 伏線回収:2/5
前半で置かれるのは法の無力とマックス自身の危うさだ。これは終盤の私刑につながる。ただし「あれがここで効く」という因果応報の快感は薄い。構造は通るが、回収の気持ちよさは弱い。

11 倫理の納得感:4/5
同僚を殺され、息子を失い、妻も重体に追い込まれた男の報復として、観客はかなり肩入れしやすい。ただし、マックス自身が壊れかけており、映画もその危うさを隠していない。筋は通るが、満点の清潔さではない。

12 敵の歯ごたえ:3/5
一味は数と機動力があり、司法も機能不全に陥っている。ただしトーカッター本人が首魁として底知れない恐怖や支配力を持つ存在には見えない。厄介ではあるが、「倒す価値のある大敵」としての重みは標準域にとどまる。

最終鑑定点:120/300(基礎点合計×執行精度)

格付け:D級(不発)

120点、D級。被害の大きさだけ見れば強い復讐映画だ。だがその大きな被害が、そのまま濃い燃料にはならない。トーカッター一味は外道だが、トーカッター本人は「権力を背に調子に乗る大悪党」でも「陰湿に逃げ場を潰す支配者」でもなく、被害に見合うだけの格を持ち切らない。怒りも一点に煮詰まり切らず、最大の決まり手もジョニーに向く。爆薬の量のわりに、大爆発しない。

映画が弱いという意味ではない。終末世界の荒っぽさ、スピード、壊れていく男の嫌な手触りは強い。映画としては面白い。だが執行カタルシス型リベンジ映画としては弱い。

雑記

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