作品情報
| 邦題 | ナイチンゲール |
| 原題 | The Nightingale |
| 公開年 | 2018 |
| 製作国 | オーストラリア |
| 監督 | ジェニファー・ケント |
| 主演 | アシュリン・フランチオシ、バイカリ・ガナンバル |
概要
燃料そのものは極めて強い。だがその燃料を大きなカタルシスに結びつける映画ではない。前半はクレアの復讐譚だ。クレアはホーキンス中尉とその部下二人によって徹底的に踏みにじられ、夫と子供まで奪われる。怒りの発火点は十分どころではない。
復讐対象も出発点では明確だ。クレアが追う相手はホーキンス中尉と部下二人の三人である。だから前半の観客は自然に、クレアがこの三人をどう追い詰めどう始末するかという目で見ることになる。
ただし本作は、そこから別の重さを背負い込む。道案内役として雇ったビリーが加わった時点で、映画はクレア個人の仇討ちだけでなくなる。植民地支配するイギリス人たちの暴力はクレア一人に向いたものではなく、ビリーたち先住民全体に及んでいるという事実と混ざり合う。クレアの私怨とビリーの民族的な怨みが並走する構造がこの映画の特徴であり、執行カタルシス型としての弱点になっている。
問題は、誰の復讐なのかが曖昧になることだ。クレアは途中で部下の一人を自分の手でめった刺しにし、直接的な報復が成立する。しかしその後、復讐の勢いは続かない。終盤、クレアはホーキンスのいる場所に乗り込んでその非道を告発するが、その場は制裁の場にならない。クレアの怒りは空振りに近い形になり、最後はビリーが決着をつける。前半で積み上げた怒りの行き場が、終盤で変わってしまう。
そのため、燃料の大きさに比べて回収の気持ちよさは伸びない。ホーキンス中尉一味は最終的に滅びる。だがクレアが一直線に三人を仕留め切る映画ではない。ビリーの怒りがそこへ重なり、代理執行に近い形で決着する。しかもその決着は、クレアの意思を代行したという要素もあるとは思うが、ビリー自身の民族的な怨みによる制裁のほうが強いように思われる。ここが本作を高得点にしにくい最大の理由だ。
後味も割り切れない。ビリーは重症を負いながらも生き延びるように見える。ただ家族は戻らず、クレアの復讐は自分の手で全面的に完遂したとは言いにくい。救済とも虚無とも言い切れない、重く曖昧な終わり方だ。
鑑定報告(Ver 1.3基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(被害者の無実性) | 5/5 |
| 2 喪失(奪われたものの重さ) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(加害者からの見下し) | 5/5 |
| 4 標的(復讐対象の明確さ) | 4/5 |
| 5 敵の悪(情状酌量の余地) | 5/5 |
| 6 後味(結末のカタルシス) | 3/5 |
| 7 配役(復讐者の説得力) | 4/5 |
| 8 演技(感情の爆発度) | 5/5 |
| 9 演出(執行のスタイリッシュさ) | 3/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の納得感) | 3/5 |
| 11 倫理の納得感(観客の同調率) | 4/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(難易度と落差) | 3/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 49/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:5/5
クレア自身に落ち度はない。権力を持つイギリス人将校たちに人生を蹂躙される。不条理は最大級だ。
2 喪失:5/5
夫と子供を奪われる。しかもその喪失は性的暴力と人格破壊を伴っている。損害規模は極めて重い。
3 被侮蔑:5/5
ホーキンス中尉と部下たちは、クレアを人間として扱わない。自由にできる欲望の対象として踏みにじる。侮辱の質は最悪に近い。
4 標的:4/5
クレアにとっての標的はホーキンス中尉と部下二人で明確だ。ただし後半では怒りが植民地暴力全体へ広がり、個人への一点集中はぼやける。
5 敵の悪:5/5
性的暴力、家族殺し、先住民への非人道的加害まで揃う。加害の質も量も極めて重く、情状酌量の余地はほとんどない。
6 後味:3/5
完全絶望ではないが、晴れやかな再生でもない。失われたものは戻らず、決着の手触りも重い。
7 配役:4/5
クレア役のアシュリン・フランチオシは壊されながらも立ち続けるクレアをよく背負っている。ビリー役のバイカリ・ガナンバルも真面目で意思の強い青年の感じがはまっている。
8 演技:5/5
クレアの痛み、怒り、消耗、ビリーの警戒、軽蔑、同情、民族的な怒りがよく伝わる。感情の伝達力は高い。
9 演出:3/5
前半の暴力描写と追跡開始までの助走は強く、観客の怒りを積み上げる設計はよくできている。ただし後半はその怒りをクレア本人の執行快感として解放する方向へは向かわない。
10 伏線回収:3/5
クレアとビリーの関係、白人支配の構造、各自の怒りは終盤で収束する。ただしその収束は因果応報の快感より主題の重さを表現する方向へ向かう。
11 倫理の納得感:4/5
クレアの復讐そのものには十分同調できる。ただし後半でビリーの怒りと混ざり、誰の復讐かが濁るため満点までは置きにくい。
12 敵の歯ごたえ:3/5
敵との戦闘はあまりないが、素人であるクレアやビリーにとって軍人を相手にするのは簡単なものではない。
13 執行精度(倍率): ×2
クレアは部下の一人を自分の手で殺すが、主敵ホーキンスと部下一人はビリーが決着をつける。クレア本人による完全決着ではなく、あくまでクレア視点では一部代理決着となる。
最終鑑定点:98/300(基礎点合計×執行精度)
格付け:D級(不発)
総評
燃料だけ見れば極めて強い。クレアへの加害の重さ、ホーキンス中尉一味の非人道的な行い、前半の怒りの積み上げは相当なものだ。泣き止まない子供を壁に叩きつけて殺害するなど鬼畜の所業である。ただしその強い燃料を、クレア本人の執行カタルシスとしてはほとんど回収しない。後半ではビリーの怨みと植民地支配の暴力が前面に出て、クレアの復讐は曖昧なものになっていく。
本作は映画としての力と鑑定点が一致しない典型例だ。低得点は映画の出来が悪いという意味ではない。そもそも復讐を成し遂げてスッキリさせることが目的の映画ではないため、執行カタルシス型リベンジ映画としては不発に終わる。
雑記
クレアが最初に報復するシーンを観る限り復讐の鬼そのものだ。追いかけて、命乞いをする相手を一発撃って、ナイフでめった刺しにして、しかもライフルで顔面をめった打ちにする。執行カタルシス型リベンジ映画としてはここまでである。


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