作品情報
| 邦題 | 殺意の夏 |
| 原題 | L’Été meurtrier / One Deadly Summer |
| 公開年 | 1983 |
| 製作国 | フランス |
| 監督 | ジャン・ベッケル |
| 主演 | イザベル・アジャーニ |
概要
映画『殺意の夏』は、ジャン・ベッケル監督、イザベル・アジャーニ主演による1983年のフランス映画である。セバスチアン・ジャプリゾの同名小説を原作とし、南仏の町に移り住んだ若い女エルが、母に暴行した犯人に復讐を企てる。
本作を復讐映画としてどう捉えれば良いか、エルの復讐がそもそも成立する余地があるのかどうかが難しい。エルは母親が性暴力の被害に遭い、その結果生まれた子供である。そして、エルはその犯人達に復讐することに燃えている。だがその犯人達はすでに、父ガブリエルが密かに始末していたことが終盤に判明。エルが復讐しようとしていた相手は間違っており、本当の決着はエルの知らないところで終わっていたという点だ。この構造が本作を単純な復讐映画ではないものにしている。
エルは母親が被害を受けた結果生まれた子だということを以前から知っており、その事実がエルの極度の男性不信につながっている。更に思春期を迎えたエルに対する父親ガブリエルの軽率な行為が原因で父子関係にもひびが入り、エルの男性嫌悪もまた一段と激しいものになっていく。エルは自分に言い寄る男全てが体目当てであるという考えに囚われていたが、他の男とは少し様子の違うパンポンやその家族と出会ってしまったことで、この物語はあらぬ方向へ転がっていくことになる。
パンポンの父親がイタリアから歩いて運んできたという自動演奏ピアノがヒントになり、パンポンの父親も犯人のひとりだと考えたエルは復讐を果たすために、まずはパンポンと結婚し、家族になり内側から崩壊させることを企む。そして残りの二人の犯人の名前も判明し、復讐を果たすために巧妙な仕掛けをして接触を図る。しかしエルの目論見は全て的外れであり、父親が全て決着済みという事実を目の当たりにし、自ら望んでいた幸せな家族を壊して元に戻せなくしたのは自分だという極めて厳しい事実に直面してエルの精神は崩壊する。これは復讐の失敗ではなく、エルにとっては復讐の存在理由そのものが消えてしまった。これが本作の正体である。
鑑定報告(Ver 1.4基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(過失相殺) | 5/5 |
| 2 喪失(損害規模) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(ナメられ) | 4/5 |
| 4 報復対象(安定性) | 2/5 |
| 5 敵の悪(邪悪性) | 3/5 |
| 6 後味(生存希望) | 2/5 |
| 7 配役(適正顔) | 5/5 |
| 8 演技(感情伝達) | 5/5 |
| 9 演出(爆発の美学) | 5/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の設計) | 4/5 |
| 11 倫理の納得感(観客同調) | 3/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(障害強度) | 2/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 45/60 |
基礎点の根拠
不条理:5/5
主人公の出生そのものが「3人の男による集団暴行」という最悪の不条理に基づいている。母だけではく、エルにとっても父にとっても不条理そのものである。
2 喪失:5/5
母の尊厳、夫婦関係、エルと父親、修復は不可能であり、失われたものは大きい。
3 被侮蔑:4/5
母への加害は人格そのものを踏みにじる行為であり、その結果生まれたエルも自分の出自を通じてその傷を引き受け続ける。現在の敵から直接侮辱される映画ではないが、傷の質は深い。
4 報復対象:2/5
本来の標的は存在する。母を襲った三人の男という相手は最初からはっきりしている。ただし、エルが報復しようとしていた相手は全て別人であった。だが、実際の犯人は父親がすでに復讐を果たしている。
5 敵の悪:3/5
母を三人で襲った加害は重い。ただし、一家皆殺しや長期支配を含む5点級とは分けて考えるべきである。被害は決して軽いものではないが、加害の類型としては標準とする。
6 後味:2/5
エルは真相の衝撃に耐えられず精神崩壊し、パンポンはエルのために無実の相手を殺す。胸くそ悪さより、同情と虚しさが残る後味である。完全絶望というほどではない。
7 配役:5/5
美しさと危うさが同時に立ち、登場した瞬間から町全体をかき乱す存在として機能している。エルという役の異様さを、高いレベルで成立させている。
8 演技:5/5
アジャーニは挑発、錯乱、幼児退行まで一気に引き受ける。エルが単なる妖艶な女ではなく、極度の男性不信や出生から傷を負った人間に見えるのは演技の力である。パンポンを演じるアラン・スーションの温厚さや実直さも、悲劇の厚みを支えている。
9 演出:5/5
田舎の空気や人間関係、登場人物個々の人物描写が素晴らしい、官能と不穏さの混ぜ方は巧い。全体的に重苦しさは薄いが、破滅へ向かう牽引力は強い。
10 伏線回収:4/5
ピアノ、モンテッチャリ家、エルの誤情報、ガブリエルの沈黙が最後にひとつの悲劇へ収束する設計は精密で、真犯人はすでに父親が始末していたというオチに見事につながる。ただし回収された結果がもたらすものは切なくて苦くて厳しいものである。
11 倫理の納得感:3/5
エルの傷と怒りには同情できる。パンポンの誤射も全てはエルのためであり、ある意味誤解による悲劇に巻き込まれた被害者とも言える。だが、無実の相手を殺した結果は重く、全面的に正当化はできない。
12 敵の歯ごたえ:2/5
本当の敵はすでに過去に死んでいる。この映画で立ちはだかるのは敵ではなくエルの両親、特に父親の沈黙である。
13 決着成立度(倍率): ×2.5
エル自身の復讐は成立せず、最後はエルが間違って張った伏線で悲劇に終わる。ただし、母を襲った三人への報いそのものは、すでにガブリエルが済ませていた。復讐が完全に空振りで終わる話ではないが、エルの直接的な決着ではない。2.5倍が妥当である。
最終鑑定点:112.5/300(基礎点合計×決着成立度)
格付け:D級(不発)
総評
『殺意の夏』は、燃料だけ見れば極上である。母の被害、自分の出生への傷、そこから育った男性不信と復讐心。復讐映画として動き出すだけの材料は揃っている。
だが本作は、その燃料を執行カタルシスへ変えない。父と娘の目的は同じだが、それぞれの思惑がすれ違った結果悲劇に終わる。執行カタルシス型リベンジ映画としては不発だが、不発で良い。そういう単純な映画ではない。
雑記
耳の不自由なニーヌがルバレックとトゥレの名前を教えなければああはならなかった。不幸なエルが探している情報を知っているのは自分だけだから教えてあげたいという完全に善意なのが余計に痛ましい。あと、エルの父ガブリエルも、犯人は既に全員死んでいるという情報だけでもエルに伝えなかったのが悔やまれる。ガブリエルは真実を隠した善意で悲劇の土台を作り、ニーヌは真実を教えた善意で悲劇の引き金を引いた。正反対の行動が同じ結果に向かっている。


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