作品情報
| 邦題 | 96時間 |
| 原題 | Taken |
| 公開年 | 2008 |
| 製作国 | フランス |
| 監督 | ピエール・モレル |
| 主演 | リーアム・ニーソン |
概要
純然たる仇討ち映画ではない。娘奪還を主目的にした救出映画だ。元工作員ブライアン・ミルズは、離れて暮らす17歳の娘キムと友人のアマンダがパリ到着直後に人身売買組織に誘拐されたことで、自分の経験とネットワークを使って娘を取り戻しに向かう。本作の芯は「誰をどう恨むか」より「時間切れになる前に娘へ届くか」にある。復讐映画としても扱えるが、怒りの向きはまず奪還に向かっている。
カタルシス要素は強い。十代の娘がパリに着くなり人身売買組織に誘拐される。しかもキムと一緒にいたアマンダは途中で薬物過剰摂取の末に死んでいる。本作は「遅れたらどうなるか」を途中ではっきり見せる。そもそも、キムとアマンダは完全に浮かれていて、父親の言うことなど聞く耳持たず、母レノーアもブライアンの危機管理感覚を神経質な元夫扱いで軽く考えている。落ち度は確かにある。だから不条理は満点ではなく一段落とすのが妥当だ。ただし人身売買組織に攫われてよい理由にはまったくならない。娘たちの軽率さは燃料として効くが、自業自得の話ではない。
もう一つ大きいのは、ブライアンが家族から軽く扱われていることだ。キムは都合のいい時だけ父親に甘え、レノーアも警戒を面倒くさいものとして流す。だから観客は誘拐そのものへの怒りだけでなく、「この親父の言うことを最初から聞いておけ」という苛立ちも同時に抱く。そこが本作の燃料を濃くしている。娘奪還映画であると同時に、平時には軽く見られていた父親の価値が最悪の事態で証明される映画でもある。
本作の強みは、ブライアンの目的が一歩もぶれないことだ。望むのは敵をいたぶることではなく、キムの生還だ。標的は特定の一個人の顔に凝縮しない。空港の客引き、誘拐実行犯、売買ルート、汚職警官、最後の買い手へと責任の線をたどり続ける。相手の顔は変わるが、進行方向は明快だ。仇討ちの一点集中ではなく、救出のために障害を順に切断していく構造で見るのが正確である。
敵の悪はかなり強い。十代の少女を拉致し、薬漬けにし、商品として扱う。満点級の外道ぶりだ。しかも現地の旧知ジャン=クロードまで、警察の立場を使って組織に便宜を図る側に回っている。直接の実行犯ではなくても、汚職によって売買ルートを守っている以上、十分に共犯的だ。ただし個々の悪役のキャラクターで長く神経を逆撫でする映画ではない。観客の怒りは「こいつをじわじわ憎みたい」より「一刻も早く娘を取り戻してほしい」に寄る。本作の胸糞は濃厚に積みあがるのではなく、一過性である。
リーアム・ニーソンの配役は非常に強い。ブライアンは家庭人としては不器用で、父としても後手に回っている。だが仕事の領域に戻った瞬間、異様な精度で相手を追い詰める。「父としては失敗を抱えた男が、救出の段になると恐ろしく有能になる」というねじれが役に合っている。電話越しの警告、パリ到着後の尋問、突入、射撃まで一本の線で押し切る説得力がある。キムが可哀想だからだけで走る映画ではない。軽く見られてきた父親に観客が同情し、その父親が本領を発揮するから乗れる映画だ。
演出も見やすい。テンポがよく、時間制限の圧も効いている。カーチェイスや突入もきちんと見せ場になっている。ただし伏線回収で唸らせる映画ではない。ブライアンの技能や人脈は序盤から提示されるが、終盤で鮮やかな因果応報として返ってくる型ではない。快感の中心は構造の妙ではなく、父親が時間切れになる前に娘へ到達する勢いそのものにある。
倫理の納得感は全体として高いが満点にはしにくい。娘を救う父親という軸には観客は強く同調できる。だがジャン=クロードの妻を撃って情報を吐かせる場面はかなり引っかかる。汚職警官であることは事実でも、妻まで撃つ必要があったかと言われると苦しい。ブライアン側に完全無欠の正当性を与えない場面だ。
後味も手放しでは持ち上げにくい。キムは救出されるが、アマンダは死んでいる。にもかかわらず、その死の重みやキムが受けた傷の後始末はあまり描かれない。救出後のキムの振る舞いにも妙な軽さが残る。希望はあるが、晴れやかな着地とは言いにくい。
鑑定報告(Ver 1.3基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(被害者の無実性) | 4/5 |
| 2 喪失(奪われたものの重さ) | 4/5 |
| 3 被侮蔑(加害者からの見下し) | 3/5 |
| 4 標的(復讐対象の明確さ) | 4/5 |
| 5 敵の悪(情状酌量の余地) | 5/5 |
| 6 後味(結末のカタルシス) | 3/5 |
| 7 配役(復讐者の説得力) | 5/5 |
| 8 演技(感情の爆発度) | 4/5 |
| 9 演出(執行のスタイリッシュさ) | 4/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の納得感) | 2/5 |
| 11 倫理の納得感(観客の同調率) | 4/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(難易度と落差) | 3/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 45/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:4/5
十代の娘が旅行先で人身売買組織に誘拐される。被害は極めて重い。ただしキムとアマンダの無警戒さ、母レノーアがブライアンの警告を軽く扱う流れもある。重大過失ではないが、満点までは置きにくい。
2 喪失:4/5
キムは死亡していないが、商品として売られる寸前まで追い込まれる。しかもアマンダは実際に死ぬ。壊滅的損失ではないが、父にとっての心的損害規模はかなり重い。
3 被侮蔑:3/5
少女たちは獲物として扱われるが、ブライアン本人が長く舐められ続ける映画ではない。電話口の警告以後はむしろ地雷を踏んだ側の色が強い。見下しはあるが、項目3で大きく稼ぐ作品ではない。
4 標的:4/5
目的は最初から最後まで娘の奪還だ。実行犯や売買ルート、汚職警官、買い手へと請求先は変わるが、焦点は一歩もぶれない。人物より目的が先に立つ型として見れば、かなり鋭い。
5 敵の悪:5/5
十代の少女を拉致し、薬漬けにし、売買する。邪悪性は満点級だ。汚職警官まで売買ルートを守る側に回っており、悪の広がりもはっきりしている。
6 後味:3/5
娘は救出されるが、アマンダは死んでいる。その死の重みやキムが受けた傷の後処理はあまり描かれない。父との関係にもはっきりした再生感まではなく、見終わりには少し雑な軽さが残る。希望はあるが、晴れやかな着地とは言いにくい。
7 配役:5/5
リーアム・ニーソンの顔が決定的に効いている。父親としての切迫と元工作員としての殺気が同居しており、この役の説得力をほぼ一人で支えている。
8 演技:4/5
感情を大仰に爆発させるより、抑えたまま切迫感を出す芝居が中心だ。父親の焦りと仕事人の冷たさは十分に伝わる。
9 演出:4/5
テンポがよく、時間制限の圧も効いている。カーチェイスや突入も見せ場として成立している。ただし鳥肌が立つほどの設計の精密さより、勢いと推進力で押す演出だ。
10 伏線回収:2/5
ブライアンの技能や人脈は序盤から提示されるが、終盤で鮮やかな因果応報として返ってくるタイプではない。機能はしているが快感の中心ではない。
11 倫理の納得感:4/5
娘を人身売買組織から救う父親であり、観客はかなり同調しやすい。ただしジャン=クロードの妻を撃って情報を吐かせる場面は行き過ぎだ。全体では高いが満点にはしにくい。
12 敵の歯ごたえ:3/5
組織と汚職警官、人脈の壁はあるが、ブライアンが有能すぎて絶望的な硬さまでは出ない。対決としては成立するが難攻不落ではない。
13 執行精度(倍率): ×5
目的を最後まで見失わず、自分の手で娘へ到達する。他律的な決着にも逃げない。救出映画寄りだが、執行の精度と不可避性はかなり高い。
最終鑑定点:225/300(基礎点合計×執行精度)
格付け:B級(良作)
総評
復讐そのものを主題にした映画ではない。娘奪還の映画だ。だから標的の凝縮や伏線回収では伸び切らない。だが不条理、喪失、敵の悪、配役、執行精度はかなり強い。
225点、B級。敵の個性で長く煮詰めるタイプではないぶん、胸糞の質はやや一過性だ。それでも、軽く見られていた父親が時間切れの前に娘へ到達する一本線の緊張感と、途中で加えられる制裁の気持ちよさは十分に高い。王道寄りの良作である。
雑記
どうしてもこの母娘には同情しずらい。リーアム・ニーソンが持ってきたプレゼントに一応喜んで見せつつ、馬が出てきたら興奮してそっちに釘付け、パーティー会場で一人取り残されたリーアム・ニーソンの姿に同情を禁じ得ない。


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