蛇の道(1998年日本)

蛇の道(1998年日本)
邦題蛇の道
原題蛇の道
公開年1998
製作国日本
監督/脚本黒沢清/高橋洋
主演哀川翔、香川照之

概要

 本作は『CURE』(1997)の黒沢清監督、脚本は『リング』『女優霊』の高橋洋。8歳の娘を殺された宮下(香川照之)の復讐話として始まるが、宮下を支えていた新島(哀川翔)こそが真の復讐者であり、宮下も新島のターゲットの一人にすぎなかったというストーリーだ。よって基本的には新島の復讐物語としてすすめる。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。

1 不条理(過失相殺)5/5
2 喪失(損害規模)4/5
3 被侮蔑(ナメられ)4/5
4 報復対象(安定性)2/5
5 敵の悪(邪悪性)5/5
6 後味(生存希望)1/5
7 配役(適正顔)3/5
8 演技(感情伝達)2/5
9 演出(爆発の美学)3/5
10 伏線回収(因果応報の設計)3/5
11 倫理の納得感(観客同調)2/5
12 敵の歯ごたえ(障害強度)2/5
基礎点合計(1〜12)36/60

基礎点の根拠

1 不条理:5/5

 被害に遭った子供たちに過失はない。宮下の娘だけでなく、新島の娘も裏組織の犠牲になっている。ただし、宮下は裏組織で作成したビデオを販売している側であり、劇中では宮下の過失に娘が巻き添えになったという趣旨の台詞もあるが、あくまで新島とその娘を主体とする。

2 喪失:4/5

 幼い娘が暴行され、その死が映像商品として販売される。家族にとっては耐えがたい喪失感だ。だが、家族全滅等の規模ではない。

3 被侮蔑:4/5

 裏組織は子供に暴行する様子を撮影して販売し、遺体は空き地に遺棄するという、子供にとっても家族にとっても最大級の侮蔑と言える。しかしビデオを販売していた宮下にとってはある意味因果応報ともいえる。

4 報復対象:2/5

 報復対象が安定しないが、意図的なものだ。序盤は宮下が娘を殺した犯人を探しているように見える。大槻を捕らえ、檜山を追い、有賀へ向かう。だが終盤で展開が変わり、新島の娘も同じ場で殺されていたことや、宮下がビデオ販売に関わっていたことが判明し、本作は新島の復讐譚だったということになる。

5 敵の悪:5/5

 裏組織は子供に暴行する様子を撮影して販売するなど鬼畜度は最高水準だ。

6 後味:1/5

 新島の復讐は果たされたように見えるが、救いはほとんどない。宮下の娘も新島の娘も戻らない。宮下の生死は描かれないが、新島の最後の食事という言葉から恐らく始末されたのであろう。

7 配役:3/5

 香川照之は自分の組織関与を伏せて、被害者ふりをして新島に手伝ってもらうという、つまり、自分の娘が殺された痛みを、自分の組織関与の隠れ蓑にしてしまうような人物の役ははまる。哀川翔はそのような男はいちばん許せないと言う役もはまっている。

8 演技:2/5

 香川照之と哀川翔はそれぞれの役柄を演じたというよりは、俳優自身のキャラクターが役にはまっているように見える。そう思わせるということはある意味才能なのかもしれないが。それよりも檜山の妻であるコメットさんたち、特にコメットさんのあの演技は意図的であったとしても映画的には逆効果に見える。

9 演出:3/5

 道にチョークで数式を書く新島と天才少女。そこに現れる宮下。塾帰りの天才少女を見つめる宮下。檜山を探している組員達の脇をひとり歩く天才少女。マルチ画面に映される宮下と新島の娘の映像。娘の被害状況を克明に読み上げる台詞。これらの場面は、台詞による説明ではなく、観客に想像させる効果は大きい。しかし、それぞれの娘との関係がビデオの映像と説明のみで詳細に描かれず、復讐のカタルシスを強める燃料になりにくい。ゴルフ場での誘拐シーンは印象深いが、ほとんどコメディのようであり、本作の雰囲気に合うのか疑問だ。

10 伏線回収:3/5

 プロットには工夫がある。最初は宮下の復讐に見せるが、実は新島の娘も殺されていたことが分かり、善意の協力者に見えた新島が、実は宮下を最後に裁くという展開は復讐劇として面白い。天才少女の使い方も効果的だ。天才少女は宮下の娘と同じ8歳だ。初めて宮下が新島と会った路上で宮下は少女に反応する。歳を聞いてもチョークで書くのみ。天才少女は笑わない。塾帰りに後をつけてきて満面の笑顔の宮下に対しても無表情で見つめ返す。宮下の本性を見抜いているかのようだ。さらに、コメットさんたちが檜山を捜している近くをひとりで探りつつ通り過ぎる場面もある。つまり天才少女は新島が宮下を引き寄せるための餌であり、新島の計画を成功させるための協力者ともとれる。

11 倫理の納得感:2/5

 本作には、安心して同調できる人物がいない。宮下は娘を殺された父親だが、被害者であると同時に加害者側でもある。さらに、檜山を売ろうとした疑いも出る。さらに宮下の娘が殺されたのは、宮下に責任の一端があるような描写もある。新島もまた、無垢な復讐者ではない。娘を殺された父親でありながら、天才少女を自分の計画に巻き込んでいるように見える。道に数式を書かせ、宮下の前に出し、檜山のを探すコメットさん達を探らせる。新島は、子供がどんな危険にさらされるかを誰よりも身にしみている男だ。その男が、自分が憎む犯罪のリスクを、別の少女に背負わせているとも言える。

12 敵の歯ごたえ:2/5

 敵の概念的な悪質度は極めて高いが手強くはない。大槻は拉致されるとすぐに自白する。檜山も簡単にゴルフ場で捕まる。裏組織側全体的に迫力も緊張感も狡猾さもない。

最終鑑定点:108/300(基礎点合計×決着成立度)

格付け:D級(不発)

 『蛇の道』のプロットは秀逸だ。最初は、宮下が娘を殺された父親として犯人を追う話に見せる。新島は、その復讐を手伝う謎の男だ。なぜそんなに積極的に手を貸すのかわからない、だが終盤で真相が明かされる。「協力者を装って近づき、相手を利用して目的を達成し、最後に相手も滅ぼす」というプロットは『手紙は憶えている(2015年カナダ・ドイツ)』そのものだ。

 しかし、残念な部分もある。まず、新島と宮下の接点が偶然なのか新島の計画の内なのか。。映画の表面上は偶然の出会いに見えるが、偶然だとすると都合がよすぎる。新島が最初から宮下を調べ、通り道に8歳の少女を出して接触したと読むほうが、終盤の反転とは整合する。少女は宮下の娘と同じ年齢だ。宮下は少女に反応する。少女は笑わない。これらの場面は、宮下が単なる被害者ではないことを早い段階で匂わせている。宮下自身の性癖にも問題があるかのような演出も見せる。しかし映画でははっきりさせない。新島が宮下をどう調べたのか、少女が新島から何を伝えられていたのか、宮下をどこまで計画的に動かしたのかは説明されない。意図するようなシーンはあるが、全て観客の想像に任されている。

 次に、新島の行動にも中途半端さがある。宮下との出会いから全て天才新島の計画の内であるならば、徹底的に宮下を働かせて、復讐を外から操ったほうが良かったのではと思う。宮下に拉致させ、宮下に撃たせ、宮下に罪を重ねさせる。そのうえで最後に宮下が裁かれるという展開のほうが新島と宮下の役割の違いが明確だ。ところが本作では、新島自身も中途半端に制裁に関与する。宮下は扱いやすいが信頼性は低いからとも取れるが、それならばなぜ新島の復讐にわざわざそんな宮下を動かす必要があるのか、という疑問が残り、結果的に新島の復讐に対する純粋さの疑わしさにつながっていると思う。

 天才少女の存在も重要だ。彼女はただの不思議な塾生ではない。宮下を引き寄せる餌であり、宮下の反応を見る試験紙であり、新島の計画における協力者でもある。特に、コメットさん一味が檜山の行方を捜している様子を偵察させる場面は象徴的だ。しかし、新島は自分の娘をコメットさん達に殺された男だ。そういう連中が8歳の女児に何をするかを、誰よりも知っているはずだ。天才と言えども8歳の少女をコメットさんたちに近づかせるというのは理解に苦しむ。

雑記

 最初に観たときはあまり良い印象は無かったけど、改めて見直してみるといろいろ見えてくる。『手紙は憶えている』は本作のリメイクではないかと思えるくらいだ。違いを比較してみるのも面白い。あと、やっぱりラストの新島と宮下のシーンはあっさり終わりすぎて残念だが、新島はそもそも復讐に意味はないということをふまえたうえでの一連の行動だったのかもしれないとも思う。

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