作品情報
| 邦題 | 忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻 |
| 原題 | |
| 公開年 | 1959 |
| 製作国 | 日本 |
| 監督 | 松田定次 |
| 主演 | 片岡千恵蔵、中村錦之助、進藤英太郎 |
概要
『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』は、赤穂藩主・浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りつけ、即日切腹、赤穂藩取り潰しとなったあと、家老・大石内蔵助以下の赤穂浪士が吉良邸へ討ち入る映画である。なぜ斬りつけたか。本作では吉良上野介に対する浅野内匠頭の付け届けが少なく、そのことに憤慨した吉良上野介が浅野内匠頭に対して執拗に嫌がらせをしたためとされる。
ただし、リベンジ映画として見ると、事件の発端には大きな引っかかりが残る。吉良は嫌な男だが、浅野に嫌がらせをしただけである。浅野が切腹する直接の原因は、浅野自身が江戸城内で刀を抜いたことにある。赤穂側から見れば、浅野だけが処分され、吉良がお咎めなしとなった幕府の裁定は納得しにくい。だが、主君の落ち度を考慮せずに吉良を討つ構図には、復讐の正当性として疑問が残る。
また、映画としての問題は、浅野切腹後の長さである。浅野内匠頭の切腹までは、吉良への怒りと浅野側の屈辱を積む時間として機能している。問題はその後である。観客の気持ち的にはすでに討ち入りへの機運が高まっているにもかかわらず、本作は浅野切腹から討ち入りまでの経緯を延々と見せ続ける。忠臣蔵の有名場面と東映スターの見せ場を優先した結果、間延びしすぎて復讐劇としての熱が冷めてしまう。
鑑定報告(Ver 1.4基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(過失相殺) | 2/5 |
| 2 喪失(損害規模) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(ナメられ) | 4/5 |
| 4 報復対象(安定性) | 5/5 |
| 5 敵の悪(邪悪性) | 2/5 |
| 6 後味(生存希望) | 3/5 |
| 7 配役(適正顔) | 5/5 |
| 8 演技(感情伝達) | 3/5 |
| 9 演出(爆発の美学) | 2/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の設計) | 2/5 |
| 11 倫理の納得感(観客同調) | 2/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(障害強度) | 2/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 37/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:2/5
浅野内匠頭は吉良上野介から執拗な嫌がらせを受ける。礼法指南役の立場を使われ、準備や作法の場で屈辱を受けるため、浅野側に同情する余地はある。だが、浅野は35歳の赤穂藩主である。しかも2度目の勅使饗応役である。江戸城内で刀を抜けば、自分の切腹だけでなく、赤穂藩取り潰しと家臣の失職に至ることは分かっていたはずである。吉良の挑発があっても、浅野側の落ち度は重い。
2 喪失:5/5
浅野内匠頭は即日切腹となり、赤穂藩は取り潰される。大石内蔵助以下の家臣たちは、主君、藩、身分、生活基盤を一度に失う。個人の死にとどまらず、藩そのものが消える喪失である。
3 被侮蔑:4/5
吉良上野介は、勅使饗応役の浅野内匠頭に対して礼法指南役として誠実に接しない。付け届けが多かった伊達左京亮との扱いに差をつけ、畳替えなどの準備でも浅野側に恥をかかせようとする。吉良の言動は、観客に怒りを持たせるだけの嫌らしさがある。ただし、浅野が完全に無力な被害者として描かれるわけではない。
4 報復対象:5/5
報復対象は明確である。赤穂浪士が討つ相手は吉良上野介であり、映画の中でも報いの向き先は最後までぶれない。幕府の裁定への不満は背景にあるが、討ち入りの標的は吉良上野介に絞られている。
5 敵の悪:2/5
本作で描かれる吉良上野介の悪は、礼法指南役の立場を使った嫌がらせである。小物で、意地が悪く、浅野内匠頭をいびる男としてはよく描かれている。だが、吉良の浅野に対する悪行は嫌がらせである。浅野が切腹する羽目になったのは、浅野自身が江戸城内で刃傷事件を起こしたためであり、切腹を命じたのは幕府である。吉良は原因の一部を作るが、敵の悪としては軽い。
6 後味:3/5
赤穂浪士は吉良上野介を討ち取り、泉岳寺へ向かう。主君の無念は晴らされる。ただし、大石内蔵助以下も最終的には切腹する。復讐は完了するが、赤穂藩が戻るわけではなく、生き残って再出発する映画でもない。
7 配役:5/5
片岡千恵蔵、中村錦之助、進藤英太郎、美空ひばり、大友柳太朗らが揃っている。大石内蔵助、浅野内匠頭、吉良上野介を中心に、東映オールスター映画として画面に出た時の納得感は十分である。映画の時間配分には問題があるが、配役そのものは大作時代劇としての格を持っている。
8 演技:3/5
役者の顔ぶれは豪華だが、演技で観客を復讐へ強く引き込むほどではない。進藤英太郎の吉良上野介は、嫌な老人として機能している。中村錦之助の浅野内匠頭にも、屈辱を受ける若殿としての見せ場はある。片岡千恵蔵の大石内蔵助も役柄には収まっている。全体としては時代劇大作の標準である。
9 演出:2/5
本作の最大の問題は時間配分である。浅野内匠頭が切腹して介錯されるのは開始から約56分頃で、ここまでは吉良上野介への怒りと浅野側の屈辱を積む時間として機能している。だが、討ち入りのために四十七士がそば屋を出るのは2時間50分頃である。浅野の死から討ち入りまでに約2時間もかかっている。怒りは時間の経過で冷めてしまうため、熱いうちに決着へ運ばなければならない。
10 伏線回収:2/5
本作に、伏線回収の快感はほとんどない。吉良邸の探索やおたかの潜入は討ち入りの準備ではあるが、序盤に置いた仕掛けが終盤で発動する構造ではない。忠臣蔵をルーチンワーク的に順番に見せているだけだ。
11 倫理の納得感:2/5
赤穂浪士が吉良上野介を討つ理由は分かる。浅野内匠頭は切腹させられ、赤穂藩は取り潰され、吉良は処分されない。赤穂側から見れば、浅野だけが処分されて吉良が残る裁定は納得しにくい。だが、そもそも浅野が切腹する原因を作ったのは、浅野自身の刃傷事件である。浅野は藩主であり、家臣と藩を背負う立場にある。その人物が江戸城内で刀を抜いた結果、赤穂藩は取り潰され、家臣たちは路頭に迷う。大石内蔵助他赤穂浪士達は主君に忠誠を誓う家臣の鏡として扱われており、結果美談として後世に伝えられているが、現在も同じ倫理観でこの作品を観られるかというと疑問である。
12 敵の歯ごたえ:2/5
吉良邸は広大で、討ち入りには準備と探索が必要だが、結果的に赤穂浪士達の圧勝である。対決としての手応えは薄い。
13 決着成立度(倍率): ×3
赤穂浪士は吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取る。報復対象への報いは果たされる。大石内蔵助以下の意思と行動による決着であり、復讐としての形はある。ただし、復讐そのものの正当性には疑問が残る。さらに、映画は浅野切腹後から討ち入りまでに時間を使いすぎ、前半で積んだ怒りを冷ましている。決着はあるが、執行カタルシス型リベンジ映画として気持ちよく決まったとは言えない
最終鑑定点:111/300(基礎点合計×決着成立度)
格付け:D級(不発)
総評
『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』は、忠義美談としての忠臣蔵を、東映オールスター映画として見せる作品である。吉良上野介の嫌がらせ、浅野内匠頭の刃傷、即日切腹、赤穂藩取り潰し、吉良はお咎めなし、赤穂浪士の討ち入りという流れは揃っている。忠臣蔵映画としての看板は十分に立っている。
序盤は悪くない。吉良上野介は、小物でどうしようもなく嫌な男として描かれている。礼法指南役の立場を使い、浅野内匠頭に恥をかかせ、伊達左京亮との扱いにも差をつける。観客が吉良に腹を立てるだけの燃料は積まれている。
だが、リベンジ映画として測ると、燃料の質には限界がある。本作で描かれる吉良上野介は意地の悪い老人だが、浅野内匠頭を直接殺したわけではない。浅野が切腹する直接の原因は、浅野自身が江戸城内で刀を抜いたことにある。浅野は藩主であり、家臣と藩を背負う立場だった。その人物が刃傷事件を起こした結果、赤穂藩は取り潰され、家臣たちは路頭に迷う。主君に忠誠を誓った赤穂浪士の討ち入りだけを美談として受け取るのは難しい。
この映画はとにかく時間配分に問題がある。浅野内匠頭の切腹までは、吉良への怒りと浅野側の屈辱を積む時間として機能している。問題はその後である。観客の気持ちはすでに討ち入りへ向かっているのに、本作は討ち入りに至る過程を延々と見せ続ける。東映スター映画としての華やかさはあるが、それは良いリベンジ映画かどうかとはあまり関係が無い。
最終的に吉良上野介は首を取られる。報復対象への決着は成立した。だが、敵の悪は軽く、浅野側の落ち度は重く、映画は怒りを熱いうちに討ち入りへ運ばない。忠臣蔵映画としての格はあるが、執行カタルシス型リベンジ映画としては不発である。
雑記
散々語り尽くされて今更言うことなど微塵もなさそうな『忠臣蔵』だが、長く受け入れられてきた理由は、刃傷事件の原因はさておき、「主君の無念に家臣がどう応えたか」という話が人々の琴線に触れたからだ。『仮名手本忠臣蔵』も、時代と人物名を置き換え、恐らく燃料をマシマシにして主君のために仇を討つ、誰にでも直感的感覚的に理解できるよう、シンプルな物語として定着させた。だからこそ、赤穂事件の経緯が曖昧でも、観客は赤穂浪士の行動を美談として受け取ることができた。つまり、家臣たるもの主君が酷い目に遭ったら、主君の仇討ちをするのが理想というわけだ。
だが、リベンジ映画として見る場合は、その前提をそのまま受け入れるわけにはいかない。主君への忠義を重んじる価値観の中では、赤穂浪士の討ち入りは美談になる。だが現代の感覚でそれを美談として受け入れることが可能だろうか?主君がどのような経緯で処分されたのかを抜きにして、家臣の報復だけを正当化することは難しいのではないだろうか。立派な主君が一方的に殺されたのであれば話は別だが(浅野内匠頭は立派な人だったのだろうけど)、主君自身の判断が藩と家臣を破滅に巻き込んだ場合、それでもその主君に対して忠義を尽くすことが果たして美しい行為なのか、という疑問が残る。性格の悪い吉良さんと揉めて怪我させてしまい、逮捕されてしかも会社を倒産させてしまった浅野社長に対して社員とその家族達はどう思うかという話である。主君の短腹のおかげで酷い目にあった赤穂浪士たちは腹いせに吉良上野介を襲撃したという側面もあったのでは。

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