セールスマン

イラン
邦題セールスマン
原題Forushande / The Salesman
公開年2016
製作国イラン、フランス
監督アスガー・ファルハディ
主演シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティ

概要

映画『セールスマン』は、アスガー・ファルハディ監督、シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリドゥスティ主演による2016年のイラン・フランス合作映画である。新居で暴行された妻ラナと、その犯人を追う夫エマッドを軸に、被害後の夫婦関係の揺らぎと、私的な報復が生む濁りを描く。

この映画は執行カタルシス型の王道ではない。発端は妻ラナの暴行事件であり、概念的な燃料としては強い。だが、物語の中心は被害者が加害者に報いる過程ではなく、その後に夫エマッドの怒りがどこへ向かい、何を壊していくかに置かれている。

この映画の厄介さは、夫エマッドの怒りに妻のラナは同調しないところだ。ラナは警察沙汰も望まない。対してエマッドは、犯人探しと追及に傾いていく。そこで彼が守ろうとしているのは、妻の回復だけではない。夫として傷つけられた自尊心である。このずれが、映画全体の抜けの悪さとなっている。

終盤で報復対象は一人の老人へ収束する。だが、エマッドの方法は鮮やかな制裁ではない。家族の前で真実を暴き、社会的に追い詰めようとするが、そこまで踏み切れない。最後に残るのは中途半端な羞恥と平手打ちであり、ラナが望んだ回復でも、観客が待つ執行の快感でもない。しかもその過程で、ラナの意思は何度も置き去りにされる。

そのため本作は、復讐映画の入口から始まりながら、後半では復讐そのものの濁りを見せる映画になる。敵を見つけて終わる話ではない。報いを与えようとする夫の怒りが、被害者の意思とすれ違い、夫婦関係そのものをさらに傷つけていく。そこにこの作品の本質がある。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。

1 不条理(過失相殺)5/5
2 喪失(損害規模)2/5
3 被侮蔑(ナメられ)3/5
4 報復対象(安定性)5/5
5 敵の悪(邪悪性)3/5
6 後味(生存希望)2/5
7 配役(適正顔)4/5
8 演技(感情伝達)5/5
9 演出(爆発の美学)3/5
10 伏線回収(因果応報の設計)3/5
11 倫理の納得感(観客同調)3/5
12 敵の歯ごたえ(障害強度)2/5
基礎点合計(1〜12)40/60

基礎点の根拠

1 不条理:5/5
ラナは転居直後の住居で侵入者に襲われる。被害を招くような重大な落ち度はない。出発点の理不尽さは大きい。

2 喪失:2/5
被害は軽くない。ラナは身体の安全と住居の安心を奪われ、夫婦関係にも深い傷が入る。ただ、項目2で3点の基準になる「最愛のパートナーの喪失」級の不可逆的損害には届かない。生活基盤そのものが崩壊する話でもないため、2点にとどまる。

3 被侮蔑:3/5
犯人はラナを侵入可能な対象として扱っている。侮辱は明白である。ただ、長期にわたる人格破壊や、露骨な見下しを積み上げる型ではない。

4 報復対象:5/5
向き先は最初から最後まで明確である。エマッドが追うのは「ラナを襲った男」であり、この軸自体はぶれない。正体の判明が遅れるだけで、報復対象の安定性は高い。

5 敵の悪:3/5
住居侵入と暴行は重い。ただ、本作は敵を怪物的な外道として大きく見せる映画ではない。終盤に現れるのは卑小で情けない老人であり、悪質ではあるが特級邪悪の設計ではない。

6 後味:2/5
再生の感触は無い。残るのは救済より疲弊と気まずさであり、夫婦が元へ戻る見通しも薄い。犯人の老人も最後は亡くなってしまい後味は良くない。

7 配役:4/5
エマッドが演じる知的で理性的な男が怒りで徐々に別の顔になっていく流れに無理がない。

8 演技:5/5
エマッドの執着と変化も、ラナの傷の残り方も、説明過多にならず伝わる。夫婦の会話に生まれる温度差が、そのまま作品の痛みとしてよく伝わる。

9 演出:3/5
演出は手堅い。ただ、本作は復讐の瞬間を快感として立ち上げる方向には進まない。終盤はむしろ息苦しさと不快さを強めるため、見せ場の快感は限定的である。

10 伏線回収:3/5
前住人の痕跡、部屋に残された物、連絡先、トラック、舞台劇の並行は終盤へつながる。因果としては機能しているが、回収そのものの快感が強い作品ではない。

11 倫理の納得感:3/5
エマッドの怒り自体は理解しやすい。家族に悪事をバラそうとする代わりに平手打ちを食らわすような進め方には引っかかりが残るが、やっていることは無差別な暴走ではなく、最後も私刑による過剰な破滅には至らない。全面的な同調までは行かないが、崩壊と呼ぶほどでもない。

12 敵の歯ごたえ:2/5
犯人は持病を抱えたひ弱な老人だ。厄介なのは敵の強さではなく、事件をめぐる羞恥と沈黙である。対決相手そのものの硬さは高くない。

最終鑑定点:100/300(基礎点合計×決着成立度)

格付け:D級(不発)

『セールスマン』は、復讐映画の入口から始まりながら、復讐の気持ちよさへ向かわない。事件後、物語の中心はラナの回復よりエマッドの怒りと夫婦関係のこじれへ向かっていく。しかもその怒りは、被害者の意思とずれたまま進む。ここが本作の決定的なねじれである。

その結果、燃料はあるが、執行カタルシスには変換されない。構成も演技も高い水準にあるが、鑑定要領の物差しで測ると、決着の弱さが大きく響く。リベンジ映画としては不発。ただし、それは作品の出来が悪いという意味ではない。報復しようとすること自体が、回復ではなく夫婦関係の破壊へ傾いていく。その苦さを正面から描いた映画である。

雑記

町山智浩さんの著書「最前線の映画」を読むを読むとこの映画の背景がよくわかります。

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