作品情報
| 邦題 | 追悼のメロディ |
| 原題 | Le Corps de mon ennemi |
| 公開年 | 1976 |
| 製作国 | フランス |
| 監督・脚本 | アンリ・ヴェルヌイユ |
| 主演 | ジャン=ポール・ベルモンド |
概要
フランソワ・ルクレール(ジャン=ポール・ベルモンド)は、経営を任されていた店に来店したプロサッカー選手のセルジュ・コジャックと店員カリーヌの2人を殺した犯人に仕立てられ、7年間服役して出所して街に戻ってきたところからこの物語は始まる。
町は繊維産業の有力者リエガール家が経済だけでなく行政や司法にまで影響を及ぼしており、野心の強いルクレールはそのリエガール家の娘であるジルベルト・リエガールと親しくなることで上流階級入りを果たす。だが、ルクレールの父親がリエガール派の対立候補として市長選に立候補したためルクレールとリエガールの関係が悪化、更に、雇われ店長をしていたナイトクラブ「ナンバー・ワン」で麻薬取引が行われていることを知ってしまったルクレールは、店内で発生した殺人事件の容疑者として逮捕されてしまう。出所後に自分をはめた犯人を突き止めるために疑わしき関係者の口を割らせた結果、黒幕はジルベルトの父だと判明し復讐を実行に移す。
鑑定報告(Ver 1.4基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(過失相殺) | 4/5 |
| 2 喪失(損害規模) | 4/5 |
| 3 被侮蔑(ナメられ) | 4/5 |
| 4 報復対象(安定性) | 3/5 |
| 5 敵の悪(邪悪性) | 3/5 |
| 6 後味(生存希望) | 3/5 |
| 7 配役(適正顔) | 3/5 |
| 8 演技(感情伝達) | 3/5 |
| 9 演出(爆発の美学) | 3/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の設計) | 2/5 |
| 11 倫理の納得感(観客同調) | 3/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(障害強度) | 1/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 36/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:4/5
ルクレールは、サッカーのスター選手であるコジャックと店員のカリーヌの2人殺害という身に覚えのない罪で7年間服役する。濡れ衣そのものは明らかに不当である。ただ、二人殺害で7年で出てこられたのは不幸中の幸いとも言える。
2 喪失:4/5
ルクレールは7年間の自由、社会的信用、父親との関係、ジルベルトとの関係、町での人生を失う。殺人犯として扱われた時間は戻らない。家族全滅や身体の不可逆的破壊ではないが、人生の大きな部分を奪われている。
3 被侮蔑:4/5
裁判では、ルクレールが本当に2人を殺したかより、野心家で、女を利用し、上流階級に入り込もうとした男として語られる。町の権力者は、彼を都合よく使い、邪魔になれば潰せる人間と見なしており、階級的見下され感は強い。
4 報復対象:3/5
最終的な標的はリエガールである。だが、映画の途中では、ディ・マッサ、市長、ジルベルト、町の有力者層、ナイトクラブ周辺の犯罪が絡み、復讐の焦点が散る。フランソワ自身も、誰を殺すかというよりも、どうやって人に始末させるかへ進む。
5 敵の悪:3/5
リエガール側は、麻薬取引、二人殺害、犯人偽装と悪のレベルはそれなりに高い。ただし、観客的には犯人たちの計画の杜撰さや、それぞれのキャラクターの問題で悪質さが燃料として積み上がらない。
6 後味:3/5
リエガールはスナイパーにゴルフ場で撃たれ、復讐は果たされる。だが、ルクレールは最後にほとんど話の筋とは無関係なシャルロットと共に街を出る。復讐を果たした男の姿らしからぬ軽薄さだ。
7 配役:3/5
ジャン=ポール・ベルモンドの存在感で映画はまあ見られる。ただし、復讐者ルクレールとして特別にはまってはいないのと、現在パートと過去パートのルクレールの違いが無いため、過去のシーンなのか現在なのかわかりにくい場面もある。。
8 演技:3/5
ベルモンドは、重々しく一直線に怒りを爆発させるより、軽薄でつかみ所のない復讐者を演じている。市長を脅す場面、ジルベルトとの会話、ディ・マッサを追い込む場面は破綻なく見られる。だが、そもそもジャン・ポール・ベルモンドのキャラクターが復讐者という役柄とミスマッチだ。
9 演出:3/5
過去と現在を交錯させる構成、電報で恋愛を切る場面、市長の弱みを写真に収める場面など、見せ方に工夫はある。だが、いきなり回想シーンに変わったりするなど場面の分かりにくさがあり、(字幕のまずさも相まって)人物関係も整理されにくい。復讐映画として必要な怒りの積み上げに精を出すよりも、洒落た演出にこだわっているように見える。
10 伏線回収:2/5
あらゆる部分でご都合主義的であったり、結果ありきの展開だ。いろいろあるが、麻薬取引に気づいたルクレールが目障りなら、本人を消せば済む。あえて二人を殺した犯人に仕立て上げて刑務所送りにする必要が無いどころか、目立つわ恨まれるわで完全に逆効果だ。刑務所から出てきた男が復讐するという始まりと、エンディングの形が先にあったのだろう。
11 倫理の納得感:3/5
ルクレールが復讐に違和感はない。ただしルクレールはジルベルト経由でリエガール父と親しくなってブルジョア入りした成り上がり者であり、その結果、ブルジョアを批判する父親を間接的に選挙妨害したとも言える。エンディングもほとんど出演シーンもないような若い女を連れて街を去るなど、全体的に軽薄であまり後先を考えず、使えるものは何でも使う身勝手な男というキャラクターが復讐に対する倫理とは別の意味でネガティブに影響する。
12 敵の歯ごたえ:1/5
リエガールは町を支配する大物として描かれるが、黒幕としてはあまりにも行動がお粗末だ。終盤で黒幕だと見抜かれたあとも、なぜかディ・マッサの隠れ家を教え、しかもルクレールが隠れ家に向かったあとも、ディ・マッサへ連絡するわけでもなく、家族でテーブルゲームをして待っている。映画的には大詰めであるにもかかわらず、黒幕の無防備でなんともほのぼのとした、復讐劇としてはあるまじき歯ごたえの無さだ。
13 決着成立度(倍率): ×3
リエガールはゴルフ場で射殺されルクレールの復讐は一応成立している。ただし、本人が直接手を下すわけではなく、ディ・マッサを動かして狙撃させる形である。
最終鑑定点:108/300(基礎点合計×決着成立度)
格付け:D級(不発)
総評
『追悼のメロディ』は、入口だけ見れば強いリベンジ映画である。
無実の罪で7年間服役した男が、自分を殺人犯に仕立てた黒幕に復讐するという設定だけなら、リベンジ映画として十分に成立する。ルクレールが失った時間も長い、また、設定的にリエガール家を中心とするブルジョアによる地方都市の階級支配も、プロレタリアの敵の構造として悪くない。
だが、本作はその復讐に至る基礎作りが弱すぎる。麻薬取引を知ったルクレールを消したいなら、本人を目立たず処理すればよい。ところが映画は、カリーヌとコジャックを殺し、ルクレールに濡れ衣を着せ刑務所送りにするが7年で戻ってきて案の定復讐ターンに入る。敵の使いがやってきてルクレールに毎月2万フラン×6ヶ月で12万フラン払うから街から出ろと。分割払いかよ。
選挙戦での一悶着でリエガールとルクレールは疎遠になるが、ディ・マッサもディ・マッサで何でよりによって麻薬取引の隠れ蓑にしている店をリエガールと疎遠になったルクレールにまかせたのか。意味不明である。
終盤もリエガールは黒幕だと見抜かれルクレールにディ・マッサの居場所を教える。ルクレールがディ・マッサの隠れ家に向かったあと、すぐにリエガールはディ・マッサへ連絡する様子もない。そしてルクレールはディ・マッサの手下にリエガールを殺させるように仕向ける。ディ・マッサにしてみれば隠れ家をルクレールばらしたリエガールに対して不信感しかないはずだ。殺し屋を抱えるディ・マッサなら、親分に見捨てられたら次に何をするかくらい想像できるのではないか。
ジャン・ポール・ベルモンドのキャラクター、ウィットに富んだ会話、ブルジョワ批判、官民癒着、過去と現在を行き来する構成など見所もあるが、執行カタルシス型リベンジ映画として観るなら不発である。
雑記
ツッコミどころが多くて逆にそういう作品として観るには面白い。多分監督もじっくり考える無くて、急いで脚本仕上げないといけないし、二人殺して刑期7年て短くね?とかそんなことどうでもいいし、他にもやることあるし、タイトルと内容がミスマッチとか知らんし、最後のウィリアム・ブレイクの詩と内容もなんとなく雰囲気で入れたけど、よく考えたら合ってないとか、そんなこと言われても今さら変えられないし、途中でナンパした女子どうしますかなんて、そんなの最後にジャン・ポール・ベルモンドと一緒に列車に乗せとけとか、もう時間ないからこれでいいやみたいな感じだったんだろうなあなんて。想像だけど笑。そんなことよりも何よりも日本語字幕だ。意訳しすぎとかそういうレベルではなくて、完全に誤訳で文脈と何の関係もない言葉が突然俳優の口から発せられて、フランス人のジョークだろうか?とか、もう全然意味が分からないのでトランスクリプトで確認したりして結構面倒。


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