炎(1975年インド)

炎(1975年インド)
邦題
原題Sholay
公開年1975
製作国インド
監督/脚本ラメーシュ・シッピー/サリーム・カーン、ジャーヴェード・アクタル(サリーム=ジャーヴェード)
出演サンジーヴ・クマール、ダルメンドラ、アミターブ・バッチャン、ヘマ・マリニ、ジャヤ・バードリ、アムジャド・カーン

概要

『炎』は、元警部タークル・バルデーヴ・シンの、盗賊の頭ガッバル・シンに対する復讐譚だ。タークルはかつて警部としてガッバルを逮捕したが、逆恨みしたガッバルは脱獄してタークル家を襲撃し家族を皆殺しにする。更に追いかけてきたタークルを捕まえて両腕を切断する。タークルは家族と自身の両腕を奪ったガッバルに復讐するため、かつて自身が逮捕したことのあるヴィールとジャイという二人の男を呼んで、報奨金ありでガッバルの生け捕りを依頼する。

復讐の構図はタークル対ガッバルなのだが、ヴィールとジャイの友情、ヴィールとバサンティの恋愛、ジャイとラーダの恋愛、ミュージカル、コメディなどなど、映画全体としては様々な要素が盛り込まれている。当時のインドのトップスターを集めた娯楽大作としての性格が強すぎて、純粋なリベンジ映画として観るには厳しいものがある。

本作は復讐の燃料になる家族殺し、両腕切断、明確な仇、村を脅かす盗賊などの概念的な要素は盛りだくさんだ。だが、その燃料は最後の執行カタルシスに繋がらない。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。

1 不条理(過失相殺)4/5
2 喪失(損害規模)3/5
3 被侮蔑(ナメられ)4/5
4 報復対象(安定性)3/5
5 敵の悪(邪悪性)4/5
6 後味(生存希望)3/5
7 配役(適正顔)3/5
8 演技(感情伝達)3/5
9 演出(爆発の美学)3/5
10 伏線回収(因果応報の設計)4/5
11 倫理の納得感(観客同調)3/5
12 敵の歯ごたえ(障害強度)4/5
基礎点合計(1〜12)41/60

基礎点の根拠

1 不条理:4/5
タークルの家族はガッバルの報復の巻き添えだ。しかも本人も両腕を切断される。ただし、タークルは元警部としてガッバルを逮捕した人物である。家族への加害は理不尽だが、タークルとガッバルの間には職務上の因縁がある。

2 喪失:3/5
家族を失い、両腕も失うというタークルの喪失の規模は、概念としては大きい。しかし本作はタークルと家族の関係描写が薄いため、タークルの怒りや悲しみといった感情が十分に伝わらない。だが、ジャイを失ったヴィールの感情については、劇中で二人の関係を延々と見せつけられるためそれなりのものはある。

3 被侮蔑:4/5
ガッバルはタークルの家族を殺し、本人の両腕を切断したため、一生銃も腕力も使えない体にされる。またガッバルの窃盗団は度々村を襲撃し、抵抗できない農民達はガッバルのいいなりであったが、ジャイとヴィールというガッバルに刃向かう存在で村の被害は悪化する。

4 報復対象:3/5
報復対象はガッバルとその一味だ。

5 敵の悪:4/5
ガッバルの行為は悪質だ。タークルの家族を殺し、両腕を奪い、村を恐怖で支配する。ただし、演技や演出の過剰さや物足りなさがガッバルの悪質さを薄めており、概念的な悪質さは最大級だが、実際にはそうは見えないということになってしまう。

6 後味:3/5
最終的にタークルやヴィールによる私刑執行ではなく警察に捕まる。村は救われ、ヴィールとバサンティは結ばれ、ある程度の回復は描かれる。しかし、ジャイは死亡。タークルの家族は戻らない。両腕も無い。ラーダもジャイの死を抱えて村に残る。復讐後の完全な再生にはならない。

7 配役:3/5
当時のトップスター達ということで、これ以上はないのだろう。

8 演技:3/5
全体的に演技は演劇的で誇張されたものであり、復讐劇としての緊張感が弱くなる。

9 演出:3/5
復讐のカタルシスに必要な演出とは逆方向に振っている。ミュージカル的な歌やダンス、恋愛、コメディなど、娯楽大作としてあらゆる要素を盛り込んだ結果、本作の主題であるはずのタークルの復讐が相対的に弱くなる。

10 伏線回収:4/5
タークルの両腕、釘付きの靴、ジャイのコイントスなどがラストにつながっていくが、タークルがガッバルにとどめを刺す直前で警察の介入があり、回収レベルを下げることになる。

11 倫理の納得感:3/5
タークルのガッバルに対する復讐に違和感はない。しかし、ラストでタークルがガッバルにとどめを刺す寸前で警察が介入し、いきなり法に阻まれる。倫理的に法を尊重する結末としては理解できるが、それまで3時間以上にも及んだ本作の自由な演出とかけ離れた決着に対して違和感がある。

12 敵の歯ごたえ:4/5
ガッバルとその一味はそれなりに人数も多く、村を恐怖で支配するなど、総合力としての歯ごたえはあるが、ガッバル他個々でみるとさほどではない。

最終鑑定点:102.5/300(基礎点合計×決着成立度)

格付け:D級(不発)

『炎』は復讐映画として必要な要素はある。タークルは家族と両腕を奪われ、ガッバルという明確な仇もいる。動機は明確で、観客の同調も得やすい。しかし、本作はタークルの復讐譚とは無関係なシーンが多すぎる。ジャイとヴィールの友情、恋愛、ミュージカル、ダンスシーンも長い、コメディまで盛り込んだ影響でタークルの復讐譚は必然的にかなり後退する。後退して最後にまた前に出てくるのだが、その頃には既に別の映画になっている。また、タークルの復讐譚としては最後の警察介入も大きなマイナス要因だ。とどめを刺す寸前で警察に止められ、タークルの復讐は寸止めで終わる。検閲でラストシーンの変更を余儀なくされたのは制作側としては不本意であろうが、そもそも、リベンジ映画的には最後にとどめを刺しておけばそれだけで良いというものでもないのだ。当時のインドのスターが多数出演した大作ということで、映画のプロットよりも、スター達をどのように見せるかを優先させた結果、本線から脱線したままあちこちに飛んで、しばらく経って最後にやっと戻ってくるという展開だが、本作はそもそもタークルの復讐譚ではなくて、あくまでジャイとヴィールの友情の物語と見れば楽しめる映画だ。

雑記

『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』のような東映スター全員集合のような映画なのだろう。スターを多数出せば、それぞれのスター達にいろいろと配慮しなければならなくなる。なんであいつの方が出演シーンが長いんだとか、あいつの方が良く写っているとか、この役は嫌だからあいつと変えてくれとか、弁当が不味いとか、もう帰るとか、どいつもこいつもわがままばかりで監督は大変だろう。そんなことが本作の現場であったかどうかは知らないが、そんなことがあって結果的に3時間を超える作品になってしまったように見える。冒頭で貨物車が襲撃されるシーンが約8分、ジャイとヴィールがサイドカーを盗んで走り回るシーンが約6分、ヒトラー風の所長による刑務所のコメディ要素強めのシーンが約9分、ホーリー祭が始まってガッバル達に襲撃されるまで約5分、捕まったヴィールのためにバサンティが踊るシーンが約6分、こういう感じでそれぞれのスター達の見所シーンが長い。長すぎる。冒頭の襲撃シーンなんて、結構な人数の窃盗団ひとりずつ全員が倒されるまで終わらないのでないかと身構えたくらいだ。ただ、2時間で済む話が3時間になったところで別にいいじゃないかとも思う。インドの人に3時間は長いと文句を言ったら、お前はそんなに忙しいのかと返されそうな気もする。

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