作品情報
| 邦題 | 狼よさらば |
| 原題 | Death Wish |
| 公開年 | 1974 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | マイケル・ウィナー |
| 主演 | チャールズ・ブロンソン |
概要
映画『狼よさらば』は、妻を殺され、娘を精神崩壊に追い込まれた男が、夜の街へ銃を持って出る作品である。出発点だけ見れば、典型的な執行カタルシス型リベンジ映画である。妻殺害と娘への暴行は燃料として極上であり、怒りの点火も強い。リベンジ映画鑑定所向きの映画に見える。
ただし、本作の最大の問題は、その怒りが本来の標的へ向かわないことだ。主人公ポール・カージーは、妻と娘を襲った三人組を追わない。代わりに、街で出会うならず者全般を撃ち始める。ここで映画は、家族の仇討ちから都市犯罪への私刑へ性質を変える。執行カタルシス型リベンジ映画として見ると、この構造変化は致命的である。
しかもこの変質は、後半の脱線ではない。映画は冒頭から、犯罪都市ニューヨークへの苛立ちを強く仕込む。同僚は、貧しい犯罪者を収容所へ入れろと口走る。妻と娘を襲った犯人の一人は、室内に鉤十字を書く。犯人三人は個人として深掘りされず、街の悪そのものの記号として置かれる。故にポールの怒りも妻と娘を襲った三人ではなく、市民生活を脅かす犯罪者たちへ向かっていく。
ツーソン出張も重要である。西部劇のセットでは、自警主義を肯定するような寸劇を見せられる。射撃場では、自分がまだ撃てる男であることを身体で思い出す。最後には、拳銃を土産として手に入れる。思想、技術、道具がそろったあと、ポールは妻と娘を襲った犯人探しではなく、夜の街で制裁を加えるべき相手を探し始める。ここで彼は、家族の仇を追う男から、自警主義者へ変わる。
その変化は段階的に固まる。最初の一人射殺は試運転に近い。次に、三人組に襲われている男を助ける形で三人を撃つ。地下鉄でも二人を撃つ。さらに喫茶店では、わざと財布の中身を見せて相手を誘い出し、地下道で撃つ。ここまで来ると、もう偶然巻き込まれた男ではない。自分から獲物をおびき寄せる側に回っている。
終盤の処理も、本作の危うさを補強する。ポールは警察の警告を無視してまた街へ出て、二人を射殺し、自分も負傷して病院へ運ばれる。警察はすでにポールをマークしていたが、犯罪率低下という結果を前に、逮捕より追放を選ぶ。法秩序の回復ではなく、役に立つ暴力として黙認するのである。ラストシーン、シカゴ駅での指鉄砲も、仇討ちの完了ではない。ポールが、どの街でも悪を見れば撃つ男へ変質しきったことを示して終わる。
したがって本作は、リベンジ映画としてはかなり低く出る。きっかけの燃料は文句なく強い。ブロンソンの顔も強い。映画としての見せ方も十分に印象的である。だが、標的は拡散し、執行は空回りする。本作の面白さも危うさも、自警主義が個人の暴走としてではなく、大衆と制度の黙認の中で膨らんでいくところにある。社会派映画、自警映画としての評価は別にある。だが執行カタルシス型リベンジ映画として観ると想像を裏切られる。
鑑定報告(Ver 1.3基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領 Ver1.3(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(被害者の無実性) | 5/5 |
| 2 喪失(奪われたものの重さ) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(加害者からの見下し) | 5/5 |
| 4 標的(復讐対象の明確さ) | 1/5 |
| 5 敵の悪(情状酌量の余地) | 5/5 |
| 6 後味(結末のカタルシス) | 2/5 |
| 7 配役(復讐者の説得力) | 5/5 |
| 8 演技(感情の爆発度) | 4/5 |
| 9 演出(執行のスタイリッシュさ) | 4/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の納得感) | 1/5 |
| 11 倫理の納得感(観客の同調率) | 2/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(難易度と落差) | 2/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 41/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:5/5
妻と娘は自宅で不意に襲われる。予見可能性はほぼなく、被害も一方的である。不条理は満点でよい。
2 喪失:5/5
妻は死亡する。娘は精神を壊し、施設へ入る。家族の崩壊は決定的である。損害規模は壊滅的だ。
3 被侮蔑:5/5
犯人たちは相手を人間として扱わない。金が少ないと知って暴力を激化させるあたりに、無価値扱いがはっきり出ている。侮蔑は強い。
4 標的:1/5
ここが致命傷である。怒りの出発点は三人組なのに、ポールの殺意は街の犯罪者一般へ広がる。犯人への仇討ちではなく、概念化した悪への私刑に変わる。
5 敵の悪:5/5
自宅侵入、妻殺害、娘への暴行。加害の質は重い。情状酌量の余地はほぼない。
6 後味:2/5
ポール本人はむしろ生き生きして終わる。だが、娘は施設のままで、家族の再生はない。最後の指鉄砲も、治癒ではなく変質の完成を示す。
7 配役:5/5
チャールズ・ブロンソンの顔は圧倒的に強い。無口に立っているだけで、この男が撃つ側へ回ると納得させる。配役は満点でよい。
8 演技:4/5
ブロンソンは感情を爆発させず、内側で変質していく男を淡々と見せる。この抑制は効果的である。さらに、オチョア警部をはじめ脇の人物もよく機能しており、映画全体の感情の流れを支えている。演技は高く評価してよい。
9 演出:4/5
夜の街での自警シーンは印象が強い。都市不安の空気、ツーソンでの転換、最後の指鉄砲まで、ポールの変質を段階的に見せる演出はよくできている。ただし、妻子への怒りを仇敵への執行カタルシスへ変換する演出ではないため、満点には届かない。
10 伏線回収:1/5
序盤の燃料は、終盤の仇討ちへ回収されない。三人組は放置され、怒りだけが別の標的へ流れる。因果応報の快感はほぼ不在である。
11 倫理の納得感:2/5
最初の怒りには同調できる。だが、その後に始まるのは犯人捜しではなく、街のならず者全体への射殺である。警察と検察の黙認まで含めて、危うさが強く残る。
12 敵の歯ごたえ:2/5
ポールが撃つ相手は強敵ではない。ほとんどが不意打ちだ。終盤彼自身も負傷するが、復讐の価値を押し上げる顔のある難敵とは言いにくい。
13 執行精度(倍率): ×1
ポールは何人も射殺したが、妻と娘を襲った三人組への報復は未達のまま終わる。執行の手際ではなく、標的未回収が決定的なので1倍である。
最終鑑定点:41/300(基礎点合計×執行精度)
格付け:D級(不発)
総評
『狼よさらば』は、リベンジ映画として扱える。出発点の燃料も極上である。だが、作品の本体は家族の仇討ちではない。犯罪都市への私刑と、自警主義者の誕生譚である。だから、執行カタルシス型リベンジ映画のメーターで測ると、異様なほど低く出る。
町内会の花火大会用に火薬をしこたま準備しながら、よその花火大会へ行って火をつけて回るような映画である。この点数は、映画として駄目だと言っているのではない。本作は社会不安と自警願望を強く刻んだ映画であり、その危うさも含めて時代の顔を持っている。だが、妻子の事件で積んだ火薬を、最後まで本来の標的へ撃ち込まない。その構造を直視すれば、41点、D級。不発である。


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