作品情報
| 邦題 | ミュンヘン |
| 原題 | Munich |
| 公開年 | 2005 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督/脚本 | スティーヴン・スピルバーグ/トニー・クシュナー、エリック・ロス |
| 主演 | エリック・バナ |
概要
映画『ミュンヘン』は、スティーヴン・スピルバーグ監督、エリック・バナ主演による2005年のアメリカ映画である。1972年のミュンヘン五輪でイスラエル選手団11人がパレスチナ過激派「黒い九月」に拉致され、西ドイツの失敗もあり捕虜が全員殺されるという事件が発生した。イスラエル政府の高官に囲まれ、妊娠中の妻がいるにもかかわらず任務に就かざるを得なくなった主人公アヴナーが四人のメンバーと共に、政府から渡されたリストにある11人のターゲットを追う。
本作は復讐の意味を観客に問う映画だ。アヴナーは被害者遺族ではないし被害者でもない。国の任務として犯す殺人は果たして正義なのか。妻と産まれたばかりの子供の危険に怯えてまで尽くす意味はあるのか。政府は自分を使い捨てにするのではないか。そして自分たちの復讐の先にあるのは平和なのか。アヴナーの葛藤は物語が進むに従って深まっていくばかりだ。
鑑定報告(Ver 1.4基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(過失相殺) | 5/5 |
| 2 喪失(損害規模) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(ナメられ) | 3/5 |
| 4 報復対象(安定性) | 3/5 |
| 5 敵の悪(邪悪性) | 5/5 |
| 6 後味(生存希望) | 2/5 |
| 7 配役(適正顔) | 4/5 |
| 8 演技(感情伝達) | 4/5 |
| 9 演出(爆発の美学) | 4/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の設計) | 2/5 |
| 11 倫理の納得感(観客同調) | 2/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(障害強度) | 4/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 43/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:5/5
殺されたイスラエル選手団は政治問題の巻き添えになった犠牲者だ。また、アヴナー自身は暗殺のスペシャリストというわけでもなく、出産間近の妻がいるにもかかわらず危険なミッションを受けざるを得ない状況に追い込まれたことも不条理と言える。
2 喪失:5/5
失ったのは殺されたイスラエル選手団11人の命だ。動機になり得るアヴナーの喪失はないが、結果的に祖国のイスラエルを離れ、家族もろとも身の危険に怯え、精神的にも不安定な状態で生活することになる。
3 被侮蔑:3/5
オリンピックのような世界的に注目されるイベントで襲撃されたことはイスラエルにとっては屈辱だろう。さらにハイジャック事件が発止して、西ドイツ政府は報復を恐れて逮捕した犯行グループの3人を釈放してしまう。
4 報復対象:3/5
政府から指示された標的は被害者と同数の関係者11人であり、ミュンヘン事件の関係者だ。しかし11人の標的たち全員が本当にミュンヘン事件に関与していた人物なのかどうかという疑問は映画序盤から呈されている。
5 敵の悪:5/5
報復の直接の動機である一般人11人殺害について情状酌量の余地はない。だがアヴナーの標的たちが個別にどう関与したかは映画の中で具体的には示されない。またパレスチナ側の理屈もカウンターとして描かれており、どちらかが一方的に悪であるという演出にはなっていない。
6 後味:2/5
チームの3人は殺されたがアヴナーは生き延び、妻子も無事であるが元の生活には戻らない。アヴナーはミュンヘン事件に対する報復という大義名分が揺らいで苦しむことになる。
7 配役:4/5
エリック・バナの殺し屋ではない雰囲気はアヴナーのキャラクターにはまっており、また本作の主人公にはそれが求められているという意味でははまり役なのだろう。他キャスティングにも特に違和感はない。
8 演技:4/5
エリック・バナのなし崩し的に任務に関わってから、復讐を進めるうちに人を殺すことに麻痺していき、やがて事態が深刻化して自問する悩めるアヴナーがよく伝わる。他キャストも違和感はない。
9 演出:4/5
終始復讐の執行自体やその過程の危うさ描いている。爆殺は3件とも結果的には成功したが計画通りではない。また、パレスチナを一方的な悪として描くのではなく、イスラエル側の行動についても考えさせる演出だ。
10 伏線回収:2/5
爆弾係のロバートに振り回された。電話爆弾は威力が弱い、ベッド爆弾は威力が強すぎ隣室の客やアヴナーまでもが危ない目に遭い、テレビ爆弾は古くて起爆せずハンスが突入して強制爆破するはめになり、結果KGBやアルまで殺さざるを得なくなる。最後は事故か意図的なものか不明だが自身が爆死するはめになる。
11 倫理の納得感:2/5
発端のイスラエル選手団11人殺害に対する報復という大義名分はある。だがアヴナーは遺族でも直接被害者でもなく、更に標的たちが本当にミュンヘン事件に関与していたのかどうかさえも怪しくなってくる。エフライムのイスラエルの敵であればミュンヘン事件と無関係であっても殺しても問題ないという理屈は民族間の問題を解決することにはならない。
12 敵の歯ごたえ:4/5
個々の標的は強敵ではないがアヴナーたちが踏み入れた世界は厄介である。標的が同盟国のCIAの保護下であったり、KGBが関与を匂わせ、アヴナーたちも狙われるなど単にイスラエルとパレスチナだけの問題ではない。
13 決着成立度(倍率): ×2.5
リストの11人中7人に報復し、映画的は未達の扱いだが、本作の場合本質的に完全決着はないだろう。
最終鑑定点:107.5/300(基礎点合計×決着成立度)
格付け:D級(不発)
総評
『ミュンヘン』は執行カタルシス型復讐映画として見ようとしても意味がない。標的を悪とし、復讐者を遺族とし、暗殺を滞りなく成功させ、最後に達成感のある映像で終わらせる。そういう偏ったプロパガンダ映画ではない。
スピルバーグが9.11のあとに描こうとしたことは、テロに報復しても平和にはならないことではなくて、無意味だと分かっているのになぜ行うのか、なぜ分かってても止められないのかということだろう。ミッションから離脱したアヴナーは家族のもとに戻るが、そこはイスラエルではなくニューヨークだ。祖国のために働いた自分が祖国ではない土地で素性を隠して生きていかなくてはならない。子供を連れて街を歩いても誰かに狙われているような気がして安心できない。もしかしたらイスラエルに消されるかもしれない。夜も正気ではないように見える。アヴナーがイスラエル大使館に怒鳴り込んだと聞いたエフライムがニューヨークのアヴナーを訪ねる。アヴナーは自分たちが殺した相手は果たしてそうする必要があったのかエフライムに問う、アイヒマンのように逮捕して法で裁けば良かったのではと、エフライムはさらなる事件を未然に防いだ程度の認識でしかない、イスラエルの平和と未来のためだと、だが、アヴナーはその先にそんなものはないと。そしてアヴナーはエフライムを自宅での夕食に招くが、エフライムは断る。報復と共存の対立、つまりアヴナーとエフライムはパレスチナとイスラエルを象徴するものだろう。そして遠くには世界貿易センタービルが見えている。


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