作品情報
| 邦題 | オルカ |
| 原題 | Orca |
| 公開年 | 1977 |
| 製作国 | アメリカ・イタリア |
| 監督 | マイケル・アンダーソン |
| 出演 | リチャード・ハリス、シャーロット・ランプリング、ウィル・サンプソン |
概要
カナダ・ニューファンドランドの漁港で暮らすノーラン船長は、水族館に売るためのシャチ捕獲を計画する。海洋学者レイチェルは、シャチの知能と、つがいの結びつきの深さを説いて捕獲を思い止まらせようとするが、ノーランは取り合わない。
撃った銛は狙ったオスではなく、妊娠中のメスに当たる。メスは一旦船に引き上げられるも海に戻されるが、結果的に母子とも絶命する。オスのシャチはその一部始終を見ていた。ここからシャチはノーランへの執拗な追跡を始める。
シャチはノーランの船と港を襲い、周囲の人間にも被害が及ぶ。それでも映画が最後まで対峙させるのはノーラン本人である。自分が海へ出なければ被害が続くと悟ったノーランは、シャチとの決着に向かう。
鑑定報告(Ver 1.4基準)
※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。
| 1 不条理(過失相殺) | 5/5 |
| 2 喪失(損害規模) | 5/5 |
| 3 被侮蔑(ナメられ) | 4/5 |
| 4 報復対象(安定性) | 5/5 |
| 5 敵の悪(邪悪性) | 3/5 |
| 6 後味(生存希望) | 3/5 |
| 7 配役(適正顔) | 4/5 |
| 8 演技(感情伝達) | 3/5 |
| 9 演出(爆発の美学) | 5/5 |
| 10 伏線回収(因果応報の設計) | 4/5 |
| 11 倫理の納得感(観客同調) | 3/5 |
| 12 敵の歯ごたえ(障害強度) | 3/5 |
| 基礎点合計(1〜12) | 47/60 |
基礎点の根拠
1 不条理:5/5
シャチ側に落ち度はない。ノーランはレイチェルの警告を退けた末に妊娠中のメスと胎児を死なせた。シャチから見れば、一方的に家族を奪われた事件である。
2 喪失:5/5
オスのシャチはつがいと胎児を同時に失う。シャチが一生同じ相手と生きる動物として作中で説明される以上、オスの喪失感は計り知れない。
3 被侮蔑:4/5
ノーランはシャチを知性ある生き物としてではなく、水族館の商品として扱う。メスを撃ち、胎児まで失わせる場面は、シャチ側の尊厳を踏みにじる。ただしノーランはそれを嘲笑して楽しむような外道ではない。
4 報復対象:5/5
報復対象はノーラン船長。シャチが船や港を襲って周囲を巻き込む場面はあるが、物語の中心はノーランとの対決だ。
5 敵の悪:3/5
ノーランは極悪人ではない。胎児まで殺すつもりで銛を撃ったわけではなく、目的は金銭で、出発点は捕獲だった。だが警告を退けて取り返しのつかない被害を出した点で、悪意というより無知と傲慢による加害として描かれる。
6 後味:3/5
シャチはノーランに復讐を果たす。だがメスと胎児は戻らず、人間側にも死傷者が出る。復讐の筋は通るものの、救済の残る結末ではない。
7 配役:4/5
リチャード・ハリスは、金目当てでたかが動物という浅い考えから、徐々に深刻な状況に陥り、自分が決着を付けなければならないところまで追い込まれるノーラン役がはまっている。
8 演技:3/5
ハリスはたかがシャチという浅い考えから、最終的に命がけの決着を付けざるを得なくなっていく変化を良く表している。ランプリングも、説明台詞の多い役を落ち着いて処理する。ただし本作の中心は人間の芝居ではなく、シャチを復讐者として見せる作りにある。演技だけで作品を持ち上げる構造ではない。
9 演出:5/5
メスの死、胎児の喪失、オスがメスの遺体を運んでくる場面は、復讐の発端として強烈に組まれている。港を襲う展開や、ノーランを海へ向かわせる流れにもシャチの執念がはっきりと出る。特に評価できるのは、実物映像と模型のつなぎ方である。船や人間と絡む場面でも、模型を動かしているというより怒る一頭のシャチに見える。復讐者としてのシャチを画面上で成立させている。時折見せるシャチの憎しみに燃える目のアップが効果的だ。
10 伏線回収:4/5
序盤で説明されるシャチの知能、つがいの結びつき、家族への執着が、後半の報復行動にそのまま繋がる。ノーラン自身にも酔っ払い運転手に妻と子を奪われた過去があり、ノーランというキャラクターに深みを与えている。
11 倫理の納得感:3/5
シャチがノーランを狙う動機には同情できる。妊娠しているパートナーを殺された以上、報復の理由は明確である。だがシャチは港や直接無関係な周囲の人間にも被害を及ぼす。脚を骨折して更にその脚を食いちぎられたアニーが不憫だ。ノーラン自身も最初から殺意を持っていたわけではないことと、ノーランも自身の行いに対して悔いている様子もあり、完全にシャチ寄りになる作りではない。
12 敵の歯ごたえ:3/5
ノーランは船を持ち、海を知る漁師である。逃げ一辺倒の人物ではない。だが巨大な組織や支配力を持つ敵ではなく、シャチにとって倒すべき相手としては標準的な障害に留まる。
13 決着成立度(倍率): ×4
シャチはノーラン本人を北極海まで導き、最後は差しで決着をつける。決まり手も海に落ちたノーランを尾びれで投げ飛ばして氷にたたきつけるという意外性も印象的だが、特に理想的な執行カタルシスとまでは言いにくい。
最終鑑定点:188/300(基礎点合計×決着成立度)
格付け:C級(佳作)
総評
『オルカ』は『ジョーズ』の便乗で作られた安易な動物パニック映画ではない。ノーラン船長が誤って妊娠中のメスのシャチを死なせ、パートナーのオスがノーランに復讐することを決意する。怪物を人間が退治する映画ではなく、妻子を奪われたシャチが明確な意思を持って人間に報復する映画である。
本作の面白さは、ノーランが純粋な外道ではないところにある。彼はシャチの家族を壊すために動いたのではなく、水族館に売るために捕獲しようとし、警告を軽く扱って最悪の結果を招いた。シャチの怒りは理解できるが、ノーランを最初から最後まで憎み切れる映画ではない。また、本作最大の見せ場は、動物であるシャチを特定の人物に恨みを持った復讐の鬼として見事に描いた。飼育されているシャチと模型を使って、船を襲い、人間を追い、氷の海へノーランを引きずり出す姿を見せる。模型のシャチはかなり精巧に作られており、撮影とカットのつなぎが上手く、本物と模型の違いが分かりにくい。CGの無い時代の職人芸である。
本作はシャチの生態が自然かどうかということよりも、あくまでシャチが人間のように復讐心を燃やしたらどうなるかという映画である。人間による自然破壊や自然保護的な観点はほとんど描かれない。そこを受け入れられるかで、作品の見え方は変わる。
『オルカ』は執行カタルシス型ではないが報復対象は明瞭、喪失は重く、決着もつく。明確な意思を持って人間に復讐する動物を描いた異色の作品だ。
雑記
『オルカ』と『ジョーズ』の違いは何だろうか。
『ジョーズ』の本質は、純粋な怪物退治だ。海水浴場に現れた巨大なホオジロザメが人間を襲い、それを苦労して人間が退治する。構図がシンプルだからこそ、恐怖もストレートに伝わる。
しかも、1975年当時のスピルバーグは、まだ監督の名前で客を呼べるほどでは無い。つまり『ジョーズ』は、スターや監督のネームバリューに頼った映画ではない。最大の売りは「海に巨大なサメが出る」というシンプルな恐怖であり、あの印象的なポスター、ジョン・ウィリアムズの音楽、そしてなによりもスピルバーグの卓越した演出が見事だった。だから怪物退治映画が社会現象にまで化けたのだ。
対する『オルカ』は、同じ海洋パニック映画の体裁を取りながらも、その構造はまったく異なる。作中のシャチは、不気味で理不尽な怪物ではない。ノーラン船長によって妊娠中のメスを殺され、しかも胎児まで失っている。しかも胎児が飛び出すシーンはジョーズとは違う意味で衝撃的だ。つまり、シャチは明確な「被害者」であり、ノーランを襲う正当な動機がある。本作は「化け物を退治する映画」ではなく、「妻子を奪われたシャチが人間に報復する映画」なのだ。
この構造こそが『オルカ』の面白さであり、同時に弱点でもあった。
『ジョーズ』であれば、観客は「サメは怖い、だから倒せ」と単純に割り切れる(サメ頑張れという人も多いと思うが)。しかし『オルカ』は、観客に複雑な感情を抱かせる。シャチの怒りには共感できるし、ノーランの責任は重い。とはいえ、ノーランも最初からシャチの家族を壊そうとした極悪人ではなく、金目当ての捕獲に執着し、警告を軽視した結果として最悪の事態を招いてしまった男にすぎない。そのため観客は、人間側にもシャチ側にも100%感情移入しきれないジレンマに陥る。『ジョーズ』のような一直線のエンターテインメントではなく、動物パニックの枠組みに「復讐のメロドラマ」を混入させた映画になっている。『ジョーズ』のようなある意味考えずに観られる映画を期待して劇場に足を運んだら、なぜか帰りは『狼よさらば』を観てきたかのように感じたはずだ。


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