ボーダーライン(2015年アメリカ)

ボーダーライン(2015年アメリカ)
邦題ボーダーライン
原題Sicario
公開年2015
製作国アメリカ
監督/脚本ドゥニ・ヴィルヌーヴ/テイラー・シェリダン
出演エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン、ダニエル・カルーヤ

概要

『ボーダーライン』は、妻と娘を殺された元メキシコ検察官アレハンドロが、CIAとコロンビアのカルテルを利用して、ソノラ・カルテルのボスであるファウスト・アラルコンに復讐する映画だ。

物語はFBI誘拐対応チームのケイト・メイサーの視点で進む。フェニックスの捜査で大量の遺体を見つけたケイトは、国防総省顧問のマットに引き抜かれ、ソノラ・カルテルの幹部マニュエル・ディアスを追う特別作戦に参加する。だがチームの本当の目的はCIAの裏作戦で、ケイトはCIAが合法的に米国内で動くための要員にすぎないということを知らずに参加する。

作戦はメキシコ・フアレスへの越境、ディアスの弟ギレルモの引き渡し、水責めでの情報入手、銀行口座の凍結、トンネル襲撃と進む。そしてアレハンドロは妻子を殺したファウストに近づいていく。

※採点基準の概要は「リベンジ映画鑑定要領(概要)」をご覧ください。

1 不条理(過失相殺)5/5
2 喪失(損害規模)3/5
3 被侮蔑(ナメられ)4/5
4 報復対象(安定性)5/5
5 敵の悪(邪悪性)5/5
6 後味(生存希望)3/5
7 配役(適正顔)5/5
8 演技(感情伝達)5/5
9 演出(爆発の美学)5/5
10 伏線回収(因果応報の設計)5/5
11 倫理の納得感(観客同調)4/5
12 敵の歯ごたえ(障害強度)5/5
基礎点合計(1〜12)54/60

基礎点の根拠

1 不条理:5/5
妻と娘は何の落ち度もなく殺された。アレハンドロが検察官として腐敗と戦っていたことへの報復として、家族が標的にされた。妻は首を切られ、娘は酸の瓶に投げ込まれるなど残忍な方法だ。

2 喪失:3/5
妻と娘を同時に殺された喪失感は大きい。だが本作はその場面を観客に映像で見せず、台詞で説明するのみであるため、アレハンドロの喪失感や敵の残忍さが観客に伝わりにくい。

3 被侮蔑:4/5
ファウスト邸の食卓で、ファウストはアレハンドロを「嘆きの弁護士」と呼び、「お前の妻は、今のお前の姿を見て誇りに思うか」と精神的な侮辱を加える。元検察官として法と戦っていた男が、今では誰のためにでも働く暗殺者に成り下がったことを突きつける。さらにファウストはこの時点で妻にしか言及せず、アレハンドロが「娘も忘れるな」と指摘して初めて、忘れていたかのように娘の存在を認める。その侮蔑的な態度もまたアレハンドロの復讐心を煽る。

4 報復対象:5/5
復讐の標的は妻子を殺させたマフィアのボスであるファウストだ。

5 敵の悪:5/5
ファウストはソノラ・カルテルのボスで、アレハンドロの妻と娘を殺害させた本人だ。映画冒頭のシーンに見られるような大量殺人を行っており同情の余地はない。

6 後味:3/5
アレハンドロは復讐を成し遂げるが救いはない。本人が「狼の国」から出られないと自覚している。映画的には、遠くで銃声が響き渡るなかで少年達のサッカーが行われている。暴力が日常の一部である現実を見せられて終わる。

7 配役:5/5
デル・トロは『トラフィック』でアカデミー助演男優賞を受賞し、麻薬戦争を扱う作品に再び戻ってきた重みがある。その他配役に違和感はない。

8 演技:5/5
デル・トロは元の脚本の台詞を約9割削って、最終的に沈黙と表情だけで人物を作ったとのことだ。語らないことがアレハンドロの決意の固さを引き立てている。またその寡黙さが、ケイトを庇いつつも脅すキャラクターを成立させている。

9 演出:5/5
ヴィルヌーヴ、ディーキンス、ヨハンソンの三人の仕事が完全に噛み合っている。フアレス橋上の渋滞、トンネル襲撃、ファウスト邸の食卓、それぞれ性質の違う緊張感が持続する。またヨハンソンの緊張感や不穏さや恐怖感を増長するBGMが絶妙だ。特に検問で渋滞するシーンが印象深い。

10 伏線回収:5/5
冒頭フェニックスの壁の中の遺体、シルヴィオの家族の挿話、機内でのアレハンドロのはぐらかし、これらが終盤の真相開示と最後のサッカーシーンにつながっていく。

11 倫理の納得感:4/5
妻と娘を殺されたという復讐の動機に違和感はない。しかし、ファウストの妻と息子二人の殺害は、それこそがまさにファウストに対する復讐と言えども違和感がないとは言えない。だが、本作はもともと、観客がアレハンドロに共感し続けるようには作られていない。

12 敵の歯ごたえ:5/5
ファウストの邸宅は武装した護衛で固められており、そもそもその所在も明らかになっていなかったため、近づくのは非常に困難であった。マニュエルの逮捕網、銀行口座の凍結、トンネル襲撃を経て、ようやくたどり着く。一人の男を倒すために、結果的にCIA、DEA、連邦保安官、デルタフォース、コロンビアのカルテルまで動員することになった。

最終鑑定点:216/300(基礎点合計×決着成立度)

格付け:C級(佳作)

復讐の主体はアレハンドロだ。妻と娘を極めて残忍な方法で殺された元メキシコ検察官が、CIAとコロンビアのカルテルを利用して、真の標的ファウストに近づき、最後に自分の手で殺す。自身が味わった苦痛と同じかそれ以上の苦痛を相手にも味わわせるという理想的な復讐だ。

ただ、本作は復讐映画でありながらもカタルシスは控えめだ。動機となる妻と娘の被害はあえて観客に見せず、ファウスト執行の場面でも観客に解放感を与えない。観客はアレハンドロを正当化することも否定することもできないまま、暴力の連鎖が続いていく現実を見せられて映画が終わる。これはアレハンドロに共感させないための意図的な演出だろう。

ケイトの存在は本作のもう一つの軸になっている。CIAが米国内で動くための合法的な体裁を取り繕う要員として動員され、裏作戦の中で崩れていく。終盤、アレハンドロから「お前は狼ではない、ここは狼の国だ」と告げられる場面は、正しいやり方を信じてきた人物がそれが通用しない世界で完全に否定される場面だ。レジーの早い段階での察しの良さと、ケイトの判断の鈍さの対比も、本作の脚本の見どころのひとつだ。

映画としての完成度は最上位に立つ一本だ。脚本、演技、演出、音楽、すべてハイレベルだ。だが本鑑定要領はカタルシスメーターということで点数は抑えられる。復讐映画の良作が必ずしも高得点とは限らない。本作はその一例だ。

雑記

ケイトもレジーも、FBI幹部から厄介払いされたのではないか。

ケイトは柔軟性に欠ける。レジーは賢すぎる。マットがレジーの経歴を聞いて『弁護士は要らん』と外したのも、こういう若手エリートを極秘ミッションに入れると訴訟や内部告発のリスクがあるからだろう。過去にそういう経験があったのかもしれない。いちおう経歴を尊重する形で外しておく、というのがマットの計算だ。二人の上司であるジェニングス的にも面倒くさい部下二人をまとめてマットに引き渡すのは渡りに船で、マットの利害(作戦の合法性の担保と訴訟リスクの回避)とジェニングスの利害(扱いにくい部下の厄介払い)が一致した結果の人選だったのだろう。タスクフォースには志願が必要だということで、ジェニングスはケイトに志願するかどうか確認するが、さすがにあの場で志願しませんとは言えないだろう。本人達も厄介払いされたと自覚していて、だからレジーは取り返しの付かないことになる前に降りたい。自分の身を守らないとだめだとケイトに忠告しても、ケイトは『カルテル捜査の本質を理解していない、彼らは違う』と言って聞く耳を持たない。その割にはマットの言うことを聞かずに銀行の一件でFBIの仕事をしようとして、ジェニングスから『遙か上で決まった作戦だから理解しろ』と諭されても納得がいかない。腹いせに飲みに行って計画的にナンパされて殺されそうになったところをアレハンドロに助けられたにもかかわらず、単独で離脱しようとしたアレハンドロに銃を向けて返り討ちにされる。最後はアレハンドロから銃を突きつけられて作戦は合法だという書類にサインする。そして銃を分解して去って行くアレハンドロに対して、銃を組み立ててふたたび銃口を向ける。本作はアレハンドロの復讐譚でもあるが、ケイトの信念がことごとくへし折られて、プライドをズタズタにされる様を描いた物語でもある。

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